第九話
「浜松」

  NEFCO ネフコ の管制センターはNEXCO中日本の一宮管制に間借りしている。エルス用の管制センターはまだ建設途中であり、当面は非常事態用の対策室を借りての仮運用だった。
 今時珍しい固定電話が並ぶ対面型の机配置の部屋の隅、管制センターを一望するテラスのそば、藤前啓介は盛大に机に突っ伏していた。

「なんで藤前は倒れているんだ」
 見回りに来た 和歌 わか が尋ねると、 艦橋 かんばし は遠い目をした。
「浜松の対象が尻向けて寝たとかで、落ち込んでいます」
「喜ぶんじゃなくて?」
 なるほど、そういう受け取り方もあるかと艦橋が考えるそばで、藤前は幽鬼のごとく起きあがった。目が、昏い。

「誰があんなもんで喜ぶんですか。ガキですよ、ガキ」
「いやまあ、そりゃそうだろう。15だっけな。そりゃガキだ」
 俺の娘も12だが、そりゃもう、ガキもガキ。まずきちんと繋がった会話になってないからな。
 和歌はそう言って藤前を慰めたが、藤前は何を思い出したか机を連打した。怒っている。
「それは荒木さんのところに問題があるんですよ!」
「なん、だと」

 藤前と和歌は額を突き合うほど顔を近づけた。にらみ合う。艦橋はその間を書類挟みで遮断した。
「やめましょうよ。荒木さんはそろそろ伊藤さんところに行くんじゃないんですか」
「そうそう、そうだった」
 和歌はにこやかに顔を離した後、勢いよく頭突きした。藤前と書類挟みが吹き飛んだ。
「おっと失礼」
「子供じゃないんだから」

 艦橋の非難を後目に、和歌は鼻息一つ飛ばして部屋を出ていった。勝ち逃げだった。
 艦橋は立ち上がろうとする藤前と和歌が出ていった扉を交互に見た後、和歌を注意するために走った。
 誰も居なくなった部屋で、床を踏みならす藤前。和歌が家族を大事にすることが分かっていてああ言ったのは良くなかったと思いはするが、気持ちは簡単に切り替わらない。
「ガキどころじゃない。クソガキだ」
 そう言って机に再度向かった。ヘッドセットをつけるかどうか考えた後、30秒考える。

 相手は子供だ、相手は子供だ、大人げない、大人げない……。
 呪文のように呟いたあとで、浜松のコールボタンを押す。相手が悪いからって仕事を投げ出すようなことはしたくない。そもそも助けるんだから感謝するべきと思うのもどうかしている。

「思い詰めるよりは行動したほうがいい。時間はあまりない」
“……黙ってと言ったでしょ”

 生意気。クソガキ。
「時間がないと言った」
 相手は黙っている。いや、何か聞こえる気もする。鼻が鳴っているのか。
 鼻をかむことだってあるよなと思った後で、相手が泣いている可能性に気づいた。
 急に何を話していいか分からなくなり、頭が白くなる。
“あんた、声が変”
「いや、そっちだろ」
 そこまで言ったところで自分が鼻血を落としているのに気づいた。鮮やかな血の色に自分でびっくりする。

「しまった」
“何が”
「いや、はんでもない」
“……泣いてるの?”
「はれが!」
 いっそ泣いている方が、まだ格好がついた。会社で逆ギレして殴られて鼻血出すなんて、最悪だ。

“悪霊でも泣くの?”
「悪霊じゃない。あと、泣く」
“そっか……あんまり変わらないね”
 テラスの下、管制室でどよめきが聞こえる。ヘッドセットをつけたまま、身を乗り出した藤前は、管制室の右上の画面に上を向いた少女が映っているのを見てしまった。

 涙目になっている。泣かないように、我慢していたらしい。
 頭突きよりも痛い目にあった気がして、藤前はあわてて席に戻った。モニターの画面を切り替えて、管制室の画像を回してもらう。場所は浜松SAだった。
 これが、年頃の娘というやつか。
 衝撃を受けた。自分もかつては年頃だったのに、その頃の事は全然覚えていない。

「泣くんじゃない」
“泣いてない! 泣いてるのはそっちでしょ”
「あー」
 なんといえば、いいのだろう。泣いてないけど鼻血出してますは、どうなんだ。

 管制室のどよめきが、泣いているなあ、とか、NEFCOは何をしているんだとか、そういう声に変わっているのに気づいて、血圧が急上昇した気になる。頬が熱い。
 そのためのNEFCOですとか、岩井さんが言ったりするから……。
 いや、それすらも逆ギレかと藤前は椅子に座りなおした。自分のできること、自分の言えることを考える。画面を見ると動揺するので、画面から目を離した。自分が情けなくなる。

「困らせようとしているわけじゃないんだ」
 ようやく、そう言った。
“標の霊が悪くないのは知ってる……昔、長老に助言して、それで多くの人が助かったって”
「足場が崩れたあれか、いや、そんなに昔ってわけじゃないはずだが」
“細かいことはどうだっていいのよ!”
「細かいことじゃないだろ! 大勢死にかけたんだぞ!」

 発作的に言い返したあげくにまた泣かせたことに気づいて、藤前は自分の頭髪を心配した。禿げる。さもなくば白くなる。
 テラスの下の方のどよめきが大きくなる。別に規定があるわけでもないのだが、管制室に詰めている人間はおっさんばかりであった。泣いている女の子を見て一様に渋い顔をしている。

 藤前は深呼吸した。僕が悪いんじゃない。でも、俺がどうにかしなければ。
「泣くなよ……いや、泣かないでくれ。すまないと思っているが、泣く暇だって余りないんだ」
“……泣いてない”
 ボロボロの泣き声で、そんなことを言う。怒る気も言い返す気もなくなって、藤前は机に突っ伏した。

 5秒突っ伏し、突っ伏したまま、話始める。
「落ち着いて聞いて欲しい。君たちの街は、もう人口的に飽和状態にある。あらゆるところのあらゆる部分が限界状態で、ちょっとしたことで、はじける。爆発する」
“……泣いてない”
 腕で涙を拭いて、少女が言っている。細い腕は少年のよう。いや、そんなことはどうでもいい。
「分かった。泣いてない」
 藤前は泣いている少女の背中を見ながら言った。悪いことをしているような気がして嫌な気分になる。

「君たちが言う精霊が吹いている」
 少女が顔を上げるといくつもの柔らかな光の点が風に飛ばされていた。
“こっちでは精霊が踊るというのよ”
「そうか」
“爆発したらどうなるの? 皆死ぬの?”
「死なないために人口調整をすることになる。具体的には、くじで外れた人間を下に落として行くことになるだろう。せっかくここまで増えたのに、逆戻りで、大量虐殺だ」
“ああ、それで私、下に行くんだね”
「違う、全然違う! 聞けっ」

 藤前は身を起こした。少女は伏せ目で踊る精霊を手に取っている。
「そっちではもう、十分に悲しい事が起きた。もう十分だろう。だからここまでだ。これ以上の悲しみを阻止したい。これは我々NEFCOと、全協賛団体と、この国、僕の国の願いだ。僕たちは目下、声しか届けることができない。だが、声は届けることができる。君は一人ではない。それだけを告げるために我々NEFCOはある。だから聞いてくれ。君と、君の街の全部が生き残る方法はある」
“……声が大きい”
「すまない」

 藤前は椅子に座りなおした。画面の中の少女は、空を見上げている。
“どうするの?”
「外だ。君たちの山から下りた向こう、他にも生き残った人々がいる。彼らとの連絡路を切り開き、食料や人を行き来させる」
“私一人で?”
「……そっちでは一人だ。だがこっちには、沢山いる」
“味方になる標の霊が?”
「何百万といる。嘘じゃない」

 嘘だった。NEFCOは小さな企業だったし、まず自らが生き残るために黒字化しなければならない身だった。

「だから、捨て鉢にならないで、聞いてくれ」
“捨て鉢ってなに?”
「投げやりのことだ」
“もっと分からない”
「あきらめたりしないでくれ」
“あきらめてない。ただ、面倒になっただけ”

 怒りそうになったが、また泣かれたらダメージが大きい。それで、肩を落としながら言うことにした。
「こっちでは今も沢山の人が動いている。調べたり、考えたりしている」
“でも私がやるんでしょ”
「そうだ」
 少女は歯を見せて笑った。涙の跡は見えたが、もう泣いてはいなかった。

“なによそれ、全然駄目じゃない”