第八話
「標霊」

テンテケテンテンテン
テンテケテンテンテン
テンテケテンテンテン
テン! テン! テン!

 山は鋭く切り立っていて、かつての戦いの激しさを留めていた。もともとここには結構大きな街があったのだが戦闘中に牽制として使われた絶技一つで地面が隆起して今に見られる山が完成。人が、妖精が、面白いように、死んだ。

 その後は掃討作戦が行われて、多数の戦闘騎が放たれた。これでさらに、人が死んだ。何年にも渡って戦闘騎は動き続け、人や妖精は死に続けた。

 それでも人も妖精も生き残っている。なんとかこう、どうにかして。
 具体的には切り立った山の斜面に木の杭を打ち込んで足場を作り、その上に住んでいた。崖の中腹は安全だったのだ。
 杭を打って作られた幅は人がすれ違うことができないほど、通路と家がだいたい一緒になっていて、昼は通路、夜は家として機能していた。家と言っても垂れ幕でどうにかしきりを設けたもので、それとて大風の日は、役立たずだった。

 そんな山に、数千人が住んでいる。近頃は人数が増えすぎて、足の踏み場もない。住むには不向きな堅い岩場にすら杭を打ってどうにか凌いでいる状況だった。

「これは駄目だ」
 今更そう言ったのは崖の街の長老である。話を聞いていたのは正座した小柄な少女だった。年の頃は一四、五か。識別色豊かな服に、好奇心旺盛で輝く大きな目をしている。素早い動きができそうな身体つきなのは、山に住む者の特徴だ。長老だって、顔はともかくそうだった。

「何が駄目なの?」
 少女は尋ねた。好奇心は旺盛だが、頭はあんまり良くはない顔をしている。
 近くの大人が、長老と少女の言葉を大声の歌で上下前後に広げている。奥行きがないため一カ所に集まれない崖の街では、こうして寄り合いが成立していた。上下前後で頷いたり変な顔をしたりする人々がいるわけだ。
 割と深刻な話なのだが、この街を知らぬ人から見ればテンテケテンテンとしか聞こえないのは残念なところだった。

「人が増えすぎた。このままでは程からぬ未来に、地上に降りねばならん」
「それは自殺と何が違うの」
「ちっとも変わらん」
 長老の告白を聞いて、少女は膝を叩いた。
「大変じゃない!」
「だから駄目だって言ってるじゃろ!」

 しばし、テンテケテンテンの音が交錯する。崖のあっちこっちで大変だと言っている。

「どうすんのよ」
 少女は睨んだ。
「睨むな。対応は考えておる。くじを引いて外れたら崖から落ちるとか」
「全然ダメじゃん!」
「まあな」
 長老は自説を認めたあと、少女を見た。
「ところでお前の心に正義はあるか」
「ばっちりさ」
「勇気は持っているよな」
「分けてあげられるくらいあるけど?」
「お前は大食らいだ」
「成長期と言ってよ、もー」
「人がさらに増えたんで配給減るとか言ったら?」
「すごいやだ」
「その上で全てを解決する一つの手段がある」

 長老が言うと少女は怪訝な顔をした、どうやら自分が呼び出されたのには理由があるらしいと今更気づいた顔だった。

「道は一つだ。安全なところへ移住する。さしあたっては移住のために調査隊を送る」
「下には戦闘騎いるじゃない」
「見つからないように隠れて行く。単独行が望ましい」
「随分危険そうな旅ね。で、それと私の配給になんの関係があるの、長老」

 長老は遠い目をした。
「昔から察しが悪いのが、お前の悪いところでもあり、いいところでもあった」
「おいまて、それって私が旅に出ろってこと!?」
「うん、そう」
「私危ないじゃん!」
「お前ほどすばしっこい者もそうそうおらん」
「くじ! くじ引き!」
 長老はため息をついた。
「それはさっきやった。お前を呼び出す、数刻前に」

 少女は自殺とちっとも変わらん運命が我が身に降りかかっていることを自覚したが、割とどうしようもなかった。
「あの。叔父さんと叔母さんは」
「既に使いをやった」
 一番の味方、かばってくれる人にはもう手が回っていた。

 これはどうにもならぬ運命らしい。視線だけをあちこちにやったあと、最後には下を見て口を開いた。
「……いつ出発?」
「それは、 標霊 ひょうれい が決める」
「標の霊……?」
 長老は頷いて、虚空を見た。
「伝えたから、そろそろのはずだが」

“こちら 一宮管制 いちのみやかんせい 。聞こえますか。繰り返します。こちら……”

「うわぁ!」
 うっかり横に、つまり崖下に落ちそうな勢いで少女はうろたえた。耳ではなく、耳の奥ですらなく、心に声が聞こえたからだった。
「なに、これ何!」
「標霊だ」
“落ち着いて聞いて欲しい。まずは壁際に寄って。落ちてしまう”
 少女は目を回しながら崖に身を寄せた。
「これは何?」
「だから標の霊といってるだろう」
 長老はため息。頭が悪いとは思っていたが、まさかここまでとは。と、つぶやいている。

「長老についてるあれ? 実在するの?」
 長老は怒るか怒るまいか迷ったあと、丁度その中間くらいの口調で喋った。
「今はもう、私にはついていない。この話をした瞬間に、この崖で一番高い可能性は、お前だ」
「可能性って何?」
“理由はまだ解明中だが、我々が連絡を取れるのは、そのエリアで一番何をしでかすか分からない人物だけだ”
 少女の形のいい眉が、きりりとあがった。

「おいまて標霊。言うに事欠いて何をしでかすか分からないってなんだ。そっちが私に何かさせようってしてるんじゃない」
“何か勘違いしているようだが、そんな事実はない。むしろこっちは助けようとしているんだ”
 飛び上がった少女の眉は、そんな言葉では動いたりしなかった。
「へー」
“本当だぞ!”
「あー。そー」
「霊と話すときは鼻をほじるんじゃない。あと小声でも霊には聞こえるから」
 長老の言葉にも、少女は背を向けた。
「はいはい。なんか良くわかりませんけどー。偉いですねえ、凄いですねえ」
“鼻の穴、広がるぞ”
 少女は肩を怒らせた。
「姿を見せろ、悪霊!」
“いやいや、通信しているだけだし。あとこっちの姿をどう見せられるかはまだ検討中だ。原理的にはできるがそっち側でどう機材を作るかが問題になっている”

 少女は長老に尻を向けてふて寝した。
 霊が荒ぶった。
“話を聞け!”
「聞こえてますぅ」
“正義と勇気があるんじゃないのか”
 痛いところを突かれたか、少女は口を尖らせた。
「……今日は調子が悪くて、ちょっと休業中」
“そういうのは年中無休の方がいいんじゃないか”
「うっさいわねえ! いちいちいちいち、ネチネチネチネチ、グチグチグチグチ。私は細かいのが大嫌いなの」
“細かいんじゃなくて、正確なだけだ”
「私の頭から出ていって。それでなくたって一杯一杯なんだから」
“出ていくことはできない。可能性が動かない限り。これは僕たちでもどうしようもない”
「じゃあ、黙って」
“また後で連絡する”

 声が聞こえなくなった。少女は身を起こす。昼間に寝ころんでいると、往来する人が困る。それが崖の街というものだった。この街ではどんな人も、細い足場を譲り合って生きていくしかないのだ。争いは即、下に落ちることを意味する。
 暗くなってよく見えない下を見て、少女はなんで私がとそう言った。霊は聞いていたが、沈黙を守った。