第七話
「交渉(2)」

 そして、2010年も末である。
  和歌 わか は、ダンスの練習に余念がない。いや、自分でもこんなものに意味はあるのか? と思うのだが、何かしていないと気が落ち着かなかった。
 長篠に幽霊が現れるチャンスを、待つ。最近は地元住民も慣れっこで、拝む人がいたり、観光資源にしたらどうかという話もある始末である。
 事故が起きるのは困るけれど、まあ、別に害があるわけでもないしな。和歌も最近は、そう思う。慣れというものは恐ろしいものだ。でも事故の原因になるのでもっと目立たない形になって欲しい。

 和歌、幽霊と対話す、という話は、いつの間にか本社でも知られていた。ダンスも披露するらしいとか、そういう話にもなっており、 NEFCO ネフコ の機密保持はどうなっているんだと和歌を怒らせた。
 いかん、気が立っている。椅子に座っていつの間にかこっちもすっかり慣れてしまった虎毛猫の背をなで、気を落ち着けようと考えた。しかしこいつ、太りすぎだな。

 今頃になって別のやり方もあるんじゃないかとか、そういうことを思いはじめた。たとえば映画の要領で、大きなスクリーンに投影するとか。そっちならたぶん、見学台を作るより安く上がるのではないか。いや、いや。今更そんなことを考えても遅い。賽は投げられた、ルビコン川はとっくに渡ってしまっている。

 緊張、してきた。
 自分では鉄の心臓を持っていると思っていたが、待機が長引くと睡眠障害かなにかになりそうである。
 目を大きくあけて睨みつけるように時間を潰していると 艦橋 かんばし が走ってきた。

「出ました。ブラッドパターン青! 幽霊です!」
 椅子を蹴って立ち上がる。猫が飛んで逃げる。
「来たか。ところでブラッドパターン青って何」
 艦橋は半分口を開けて黙ったあと、頭を掻いた。
「まあ、荒木さんには難しいかもしれません。ともかくすでに準備は整っています。出掛ける準備を」

 まさかこいつ、冗談か何か口にしたんじゃなかろうな。
 人員輸送用のオデッセイというミニバンに乗り、後席にて落ち着かない時間を過ごす。着替えるにはちょっと天井が足りない気もするが、無理やり着替えた。銀色と赤の衣装。
 冬の、高い青空。
 降り立った長篠の地には休工日にも関わらず多くの車が止まっており、それどころか本社社員やNEFCO社員が整地中の道路にパイプ椅子を並べて座っていた。まるでなにかの式典のよう。
 笑顔、笑顔。

「お前ら見せ物じゃないんだぞ!」
「いや、見せ物でしょう」
 今言ったのは艦橋か!? 睨みつけるが艦橋は遠くに逃げている。幻聴か、幻聴まで聞こえたかと思ったが、岩井が猫を抱いて立っていた。この人か。笑っている。
「大丈夫。予告ではうまくいくことになっています」
 誰の立てた予告だよと内心腹を立てたが、もはや涙目で捨ておくことにした。頼りになるのは自らだけだ。呪ってやる。
 こんなことはさっさと終わらせるに限る。あとで見てろよ。

 見学台の上には何台かのカメラと、それに接続したパナソニック製ノートPCが置かれており、リアルタイムで画像処理が行われるようになっていた。
 巨人の幽霊は丁度、見学台の横に立っている。高さはだいたい同じ。目線があうくらい。
 前見た時より縮んでいる気がする。見学台の大きさにあわせたかのよう。
 また何かあったのかと思いながら、ともあれ、手を振った。ちぎれんばかりに振った。
 目の前とモニター内の巨人は難しい顔をしたあと、目を反らした。いや、ここまでは予想通り。前にも経験した。
 しかし大勢の社員は現時点で感銘の声をあげている。違う。本命はここからだ。
 足を踏みならし。片手を華麗にあげて、頭を下げ、踊る。我慢できずに並んでいた社員が噴きだしたが、もはやそれどころではない。
 こっち見てください!
 そう念じて踊った。やった、こっち見た。しかしものすごく嫌そうな顔をしている。これはちょっと予想外だった。
 決めポーズのまま、立ちつくす。冬なのに額に汗がでている。あれ、これ、もう、どうしよう。見学者たちも黙ってしまっている。これはもうなんだ、死んだ。
 死んだと思っていたら、岩井が手を離した隙に猫が階段を優雅に上がってきた。にゃーと鳴いている。

 巨人の幽霊の髪から数匹、猫が出てきてにゃーと鳴き返している。
 思わず、猫を抱いた。猫は脱力して尻尾を左右に揺らしている。
 難しい顔で巨人の幽霊がこっちを見ている。
 やった、目線あった。猫、様々だ。嬉しさのあまりダンス再開かと思ったら、幽霊が口を開いた。

「あの、さっきから何をやってるんですか」
 日本語だった。腰を抜かした。猫が逃げた。
「日本語通じるのか!」
「翻訳の歌くらいは」
 あれ、でも会話が噛み合ってない気がする。いや、娘と話した時と同程度か。
 深呼吸。
「交渉がしたい。話を聞いて欲しいんだが」
「イヤです」
「そこをなんとか!」
 見学台を見学する社員たちはもはや声もない。艦橋は眼鏡を指で押し上げ、猫を抱いた岩井が微笑んでいる。
 幽霊の表情は分からないが、モニターの中で彼女は頬を赤らめていた。
「……だいたいなんで肌色の服着ているんですか」
 あ、向こうからはそう見えるんだ。

 それが、3年前の話になる。