第四十一話
「緊急事態」

 時は一日戻る。

 ハママツが一人で泣きながら岡崎に向かって走ることになると、 香取 かとり は即座に緊急事態として本件を処理することにした。現場だけで対応するのは難しいとなったのである。
 時刻は15時のことだった。

「緊急事態にしていいんですか」
  艦橋 かんばし 藤前 ふじまえ が必死にそれぞれの担当に呼びかける中、 名鳥 なとり が香取に尋ねた。緊急事態にするとドワンゴや NEXCO ネクスコ 中日本の社長にまで情報が流れる。人命がどうこうという話になると企業PR活動という側面を超えてこれを問題視する動きも出るだろう。それを警戒して名鳥は尋ねたのである。

「これが緊急事態じゃなければなんだ」
 香取は投げやりに言った。こうなることなんざ事の最初から分かっていたし、そういう覚悟もなく異世界を助けようと始めた方が悪いと、香取は原理原則を述べた。
 コーヒーをまずそうに飲みながらまだ、心配そうな名鳥を見る。
「面倒くさい俗世界のあれそれは岩井さんや荒木さんに任せておく。俺たちは異世界の方に集中するぞ」

 実際、SAPAの宣伝やら企業PRにしては重い案件だった。これで死者が出た日には重苦しい雰囲気になるだろう。緊急連絡で電話を貰った荒木異世界復興支援本部長は頭を盛大に掻いて、まあ、そういうこともあるよなと呟いた。ただ、想像したくなかっただけで。
 即座に管制部門を預かる岩井部長に電話を掛ける。
「緊急対応はいいとして、その後をどうします?」
「チャンスだと思いましょう」
 岩井の返事に、荒木は苦笑した。ドワンゴ風だな。しかし、苦笑できる程度に俺もなじんでしまったもんだ。
「まあ、そうですね。人を助けた、という事実は大きい。助けることができれば美談ができる」
「文句をつけてくる人には悪役のレッテルが貼れます」
「岩井さん、容赦ないですね」
「この件については」
 荒木は電話を切って、宙を見て息を吹いた。チャンスか。NEXCO中日本では使ったことがない言葉だ。チャンスに賭けなきゃいけないようじゃ日本のインフラを預かる仕事なんてできやしない。100パーセントが当然の仕事、それが高速道路というやつだ。
 ただまあ、その基準を異世界に適用するには無理がある。問題はその100パーセントなど到底望めないことを、100パーセントが当然の仕事の人々に伝える難しさだった。
「まあ、やるだけやるしかないんだよなぁ」
 アポを取って本社側に説明することにする。個別に説明して変な空気できないよう、切り崩しに入る。

 岩井はこの日、ドワンゴの方に顔を出していたが、即座に対応することになった。愛知に戻る時間も惜しいと川崎の道路管制センターへ赴く。管内で何か起きた場合、ここが道路復旧、連絡線復活の司令塔になる。
  NEFCO ネフコ と岩井はこの施設を借りて臨時で指揮所を置き、テレビ会議で一宮管制に詰めている香取たちを指揮しはじめた。

「ハママツさんは一切の戦闘力を持っていません」
 蒼白な顔で藤前がそんな事を言っている。
「分かっている。普通に言って、戦うのはなしだな。戦わないで済む方法を考えよう」
 危険地帯から戦わないで脱出する。現場でやりとりをして、極度のストレス下にある藤前にこの問題を考えさせるのは得策ではない。応急的に検討チームを作って考えることにした。
 検討チームは戦闘インストラクターとして政府の斡旋で雇った元自衛官という触れ込みの 新田 あらた 、そして香取、名鳥、そして岩井自身だった。義勇社員を動員して意見を募る、という方法もあったが、今回は断念された。意見を集約するシステムがないし、ハママツが死んだ時に多くの義勇社員が強い心的外傷を負うことが予測されたためだった。
「戦えないのですから、選択肢はないと思いますよ」
 新田は気楽に言ったが、他のメンバーはそれほど簡単には割り切れない。体温が上昇し、汗が止まらない。人の命ってやつを左右する立場とは、こういうものかと岩井は思った。
「避難するしかないのは分かっています。一番安全な方法を選びたい」
 岩井が言う。名鳥が口を開いた。
「技術的な話でいえば、さっき藤前さんがやってた音を拾って索敵する方式が一番確実で危険回避に使える気がします」
「ハママツさんは気が小さいんだ。脅威が近づいているかもしれない状況で聴音とかまでやらせるとストレスで泣き出したり動けなくなったりすると思う」
 岩井が返した。香取が眉をひそめた。
「そうは言っても音の分析や方向を知るなんて、管制室ではできませんよ。音を集めるまではできても、評価の段階でミスをする可能性が高い」
 岩井はゆっくり息をする。
「そういう人材を連れてくるのは難しいかな。義勇社員に潜水艦のソナーマンでもいれば……」
「まあ、見つかって仕事をしてもらう前に終わってると思いますよ」
 新田は静かに言った。皆が黙った。新田は表情を消して、なるべく軽く言った。
「今あるものでどうにかしましょう」
 名鳥がスクリーンに映る赤い点を指さした。
「ロードパンサーはナガシノに展開してますから、音情報などは700か所で取れます。ハママツさんに向かっている音くらいなら素人でも分析できます」
「ハママツさんに向かい始めたら終わりだ。走る速度が違う」
 岩井の指摘に名鳥は難しい顔をする。
「その手前で分析するなんて……」
 無理ですよと名鳥は言いかけて、香取が机を何度も小突いているのを迷惑そうに見た。
「なんですか、香取さん」
「逆で言ってみよう」
 香取は机に拳を当てたまま言った。
「逆、ですか」
「定点からならこっちから音声や画像を流せる。向こうの 長篠 ながしの 側に大音量の音を出して、それで攪乱してしまおう」
 新田が微笑んだ。
「いいと思いますよ。できたら脅威度の高い何かに思わせることができれば幸いです」
「爆発音かなんかだな」
 香取はそう言ったあと、藤前を見た。
「あいつがハママツさんに聞かせているCDの中に、そういうのあったろ。それでいこう」

 既に原型をとどめていない砦の廃墟から巨大な爆音とともにロック音楽が鳴り始めた。戦闘騎の意識が向く中、ナガシノとシタラがその隙をついて刀を振るい、喉笛を噛み切ってもう数体を倒した。
 戦闘騎は戦闘力を持たないハママツの追撃より、脅威度の高い方へ戦力をシフトさせた。戦力を分散する愚をおかさず、ナガシノとシタラに全戦力をあてて、各個撃破を狙いだしたのである。

 勝った。少なくともハママツは守ったと、ナガシノは火薬玉に火を入れながら微笑んだ。四方は既に敵に囲まれている。戦いはいよいよ絶頂である。