第三十四話
「異変」

 実のところ、フジマエが来る1時間くらい前には起きていた。
 とはいえ、腹を空かせないようになるべく動かないのが故郷の村の伝統である。嘘。その掟は今決めた。起きる時間なんて適当でいいよね。

 目を開けて見ると天井には相変わらず蔦が伸びていて、食べることはできなさそうな実までなっている。
 起き上がり、伸びる。いつもなら腹が見えているとか、いやもう、いつだって腹が見えているだろうにそんな説教があるはずだが、それがない。
 それでハママツはフジマエの異変に気付いた。なんというか、元気がない。
「フジマエ調子悪いの?」
”至って普通。むしろ調子がいいはずだが”
「その割には変な説教してこないね。何か悪いもの食べた?」
”いや”
「なんか変。怒らないし、説教しないし」
”して欲しいのか?”
 なんだこいつ、人が心配してやってるのにとハママツは憤慨した。考えうる最強にひどい顔をして舌を伸ばした。
「だーれが、べっつに、単に、変だなって思っただけ。あと調子に乗るな」
 ため息が聞こえてくる。
 あれ、とハママツは首をかしげた。顔を戻す。
「ほんとに大丈夫なの?」
”大丈夫。調子には乗ってない。むしろ、目が覚めた。ハママツさんを守るためには、もっと落ち着いて色々考えるべきだろう”
 は、はぁ!?
 ハママツは慌てた。いや、慌てるようなことでもないけど、慌てた。
「なに意味不明なこと言ってるの。ぺっ、して、ぺっ」
”ぺ?”
「悪いものを食べたら吐くの」
”だから、違うと”
 ハママツとしては普通に喋っているつもりだが、どうもフジマエにはうまく伝わってない。これまでもそうだった。それで、喧嘩することもしばしばである。どうやらフジマエは話の繋がりが理解できていないらしい。あれー? と首をひねる。向こうは頭弱そうじゃないんだけど。
 いやまて。そうか。フジマエめ!
「そんなに謝りたくないわけ!?」
”まて、なんのことだ”
「勝負よ、勝負。24時間の」
”ああ、あれか。いや。僕の負けだよ。泣かしたんだから”
 ハママツはよろけた。遠くと喋っていても張り合いがないとよろけるんだと、15にしてハママツは分かってしまった。
 えと、何と言おうか、困る。よくよく考えてみれば落ち着いて話すのも話をされるのもハママツは苦手だった。
 呆れられそう。
 そう思うと、足がすくむ。怒られるのも頭を叩かれるのも大丈夫とは言わないまでも慣れているつもりだが、呆れられるのは苦手というか嫌いなのがハママツである。それで、目をさまよわせた。
「べ、別にあんたに泣かされたわけじゃない。ほら、ほら行くわよ。旅、再開するんでしょ」
”そうなんだが、ああいうこともあったから、出発については少し考えたい。というよりも、今、上でも計画を立て直している。意見も聞きたいし”
 誤魔化す道も絶たれてハママツは調子を崩した。いや、調子を崩したのはフジマエなんだけど。
「もーなんなのよ」
”なにが?”
「なんか今日、変」
”いや、だから。あー”
 ハママツはよろけないように身構えた。
”なんだその恰好”
「別に。ちょっといろいろやるから、黙ってて。あと見ないで」
”トイレだな”
「わざわざ言うな!」
 怒って、ため息。あ、でも今の会話は今まで通りだった気がする。ちょっと良かった。良くないけど。
 目をやれば部屋の隅に大きな白い塊がある。珍しい。シタラと、抱き着いたまま寝ているナガシノだった。
 シタラは起きているらしく、尻尾で返事をしている。
「あ、ごめんね。大声出して」
「気にしないで良い。こうなると、なかなか目を覚まさないから」
 シタラは大きな尻尾でナガシノの頬を撫でている。顔をしかめながら毛皮に抱き着いてさらに埋まるような仕草で寝ている。
 暑くないのかなとは、ちょっと思った。
「珍しいね。いつも朝早いのに」
 そう言うと、シタラは片方の目だけを開けて口を開いた。
「昨日気を使いすぎたらしい」
「そうなの?」
「人間慣れしていないのと、私が冷たいとかなんとか」
「冷たいの?」
「そんなわけがないでしょう。ということで、もうしばらく付き合っているから、食事は待ちなさい」
「うん。気にしないで」
 一人部屋から出て、崩れた砦の外に出る。海を見ながら防壁を歩いて、しゃがむのによさそうな場所を探す。故郷の崖と比べてこの地は食料にあふれているが、用を足すのは大変だった。

 しゃがみ、空を見る。
「あの、見てないよね」
”誰が見るか”
「良かった。あと耳塞いでて。聞いたり見たりしてたらひどいから。手届かなくてもひどいことするから」
”安心しろ。絶対に守る。10分……じゃない600数を数えるまで待つ。その間は本当に聞こえないから”
「安全に気をつけろ、でしょ。分かってるって」
 しかし、1000でなくてなんで600なのだろう。フジマエのいうことはよくわからない。