第四十八話
「走る」

希望世界 エルス ・掛川

 重い鐘を鳴らしたような音がした。
 次の瞬間、衝撃波が伝わってきて私の毛が逆立った。ヌマヅさんが目を大きく開けているのが見える。揺れている。
 私とあまり変わらない視線で、今風の日本服を着た人が肘鉄一発でハママツさんごとヌマヅさんを吹き飛ばしていた。地面に幾重もの真円状の穴が開いている。
 遅れて銃弾が足許に突き刺さったがその人はそんなことを気にもしていないようだった。

 即時に武器を持った駿河の兵に囲まれる。あまり身体の大きくなさそうな、優しそうな人。ただの人間に見える。
 ただの人間? ただの人間!? そんなわけがない。ただの人間は8トンはある半巨人を肘鉄一発で沈めたりはしない。飛んでくる銃弾にものともしないこともない。
 ただの人間はこんな時に優しそうに笑っていたりはしない……。

「誰だ!」
 囲んでいる兵が一斉に声を上げた。
「芸人です」
 その人は静かに言った。誰も笑わなかった。
 ただ、壁を突き破って瓦礫の山に突っ込んでいた半巨人だけは別だった。怒っていた。
「イワシミズ、イワシミズかい! なんで! 今頃!」
「今頃じゃない。今が最速だった。そして遅すぎることもない」
 その人は涼しそうにうそぶいた。
「なぜなら僕がそう決めたからだ。戦いは無意味だ。笑いよりも」
 身体の上に乗った瓦礫をよけながらヌマヅさんが歯を見せた。
「ぺこぺこしてたやつが偉そうに」
「あ、もう NEFCO ネフコ 辞めたんで、そういうのはなしです」
 もはや人質の価値もなくしたハママツさんを捨てると、ヌマヅさんは立ち上がった。嬉しそうなのと怒りが混ざった顔で大きな柱を武器にして構えた。
「師匠のために、お前は一発殴らないと気が済まない」
 その人は緩やかに構えた。見たことない武術の構え。
「弟子のために、あなたを止めないと気が済まない」
 その人は微笑みながら切れ長の目を動かした。
「誰もが笑えるようになるために長い努力をしてきた。無駄だと思ったこともある。でも今は、そうでもなかったと思っている」
 あれは、荒ぶる鷹のポーズ。
 その人は言った。
「掛かってこい」

 勝負は一瞬でついた。ヌマヅさんの振り抜いた柱を避けもせずに脚で叩き割って、その人は正面からヌマヅさんの脛に肘鉄を入れていた。回避機動を予想していたヌマヅさんは何も出来ず派手に倒れた。

 何もかもから遅れて音がした。重い鐘の音は、その人の肘が打ち付けられた音だった。槌で扉をこじ開けるような、音。
「人間が……こんな」
「人間でもやらなければならない時があるのなら、やるんですよ。どうにかして」
 その人はそう言った後、城を見た。城に向かって一人で走り出した。ナガシノさんが敵か味方か判別できずに射撃するのを躊躇している。
 その間に、城に取り付かれた。走って、蹴って、くるんと回って屋根に引っかかった。片手でぶら下がっている。
 ナガシノさんと会話しているようだ。
 私は耳に意識を集中する。

「僕は一方的に知っているけど、初めまして」
「敵か味方か、答えて貰おう。私は、敵と話す口を持たない」
「敵でも味方でもなければ?」
「それは……」
「敵と味方だけで色分けされた世界はシンプルだが、笑いは少ない」
 その人は手を離して落ちた。ナガシノさんが銃を構えるのと同時だった。落ちたその人は石垣を蹴って、くるんと回って城の中に突入した。人間は戦闘に向かないと話した私とフジエダさんの会話は、根本から間違っていたようだ。
 今は、どんな種族よりも人間の方が戦闘に向いているように見える。

 私は自分の口が緩んでいる事に気付いた。笑っている。この数日心配ばかりしてゴロゴロしていた自分がおかしくて仕方ない。人前で踊ることだってできたんだ。友達を助けることだってできるかも知れない。
 私は走った。シズオカさんが驚いている。
「ちょ、ちょっと!」
「フジエダさん助けて来ます。黒いあの子、あの子なら動かなくなる距離の手前から、物を投げることが出来るはず」
「それは分かるけど、人質は!?」
 シズオカさんがあたふたしていて、面白い。
「助けます。あの人が暴れている今なら、出来るはず」
 私はもう振り向かなかった。私は足が遅いので、振り返る暇がない。
 走って走って走って、私は城にたどり着いた。汗が酷い。息が上がっている。でも銃に撃たれはしなかった。走る。走って城の中に入った。
「フジエダさん! モリマチさん! あとカケガワさん!?」
 薄暗いどころか夜よりも暗そうな城の基部で私は声を上げた。
「なんでカケガワさんだけ”?”ついてるの?」
 頭痛がするのか頭を手でおさえたモリマチさんが飛んできた。抱きつきたい、けど壊しそうなので我慢した。
「無事で良かった」
「カケガワさんがかくまってくれたの。フジエダさんもいるけど」
 メンドーサと言って済みませんでした。あとで額が割れるまで土下座しよう。私はフジエダさんと名前を連呼した。
「こっちこっち」
 下から声。何事かと思ったら城の基部には井戸が掘られており、そこからフジエダさんが顔を出していた。顔はほっそりしているが、大丈夫そう。
 今度こそ抱きしめた。フジエダさんがわぁと言って井戸に落ちかけた。
「あのさ、感動の対面なんだけど、一個いい?」
「なに?」
「食べ物ないかな。お腹空いちゃって」
 そういえばそうだ、持ってきてあげればよかった。