第三十四話
「エオミス」

希望世界 エルス ・掛川

 私が黒い陶器兵の指にまたがったまま身を乗り出すと、巨人のエオミスさまは僅かに慌てる素振りを見せた。私が落ちるのを心配したらしい。いい人だ。いやいい巨人だ。
「実は折り入ってお聞きしたいことが」
「ふむー。しかし巨人は知恵を授けないように取り決めをしているのだ」
 優しく言ったエオミスさまに、私は尋ねた。
「そうなんですか、なんで?」
 もじゃもじゃのおひげで口元は分からなかったが、僅かに瞳が揺れたような、そんな気がした。良くない事を聞いたのだろうか。でも理由を思いつかない。
「忘れるのに随分時間が掛かってしまうし、自分で気付かねばならぬことも多いのだ。どれだけの叡智であろうとも、聞いただけでは意味がない。叡智は沢山のもので成り立つ集合だ。前提条件に歴史的背景、文化、理解したかどうか、実際に使えるのか。善き心はあるのか。沢山沢山、そういうのがあって、それではじめて叡智は叡智になる。我々天空族はそれが分かっていなかった」
「数学だけ出来てもダメってことですね」
「まあ、そうも言うね」
 エオミスさまはそう言って微笑んだ。
 しかし教えないと言っている割に、とてもためになることを教えてくれている気がする。やっぱりいい巨人だ。
 うう、しかしこのまま質問すると、エオミスさまは何だかんだで役立つことを教えてくれそうな気がする。でもそれってどうなんだろう。エオミスさまの善意を利用したみたいな感じで、なんか嫌だ。
 私は魚のように口を何度か開いたあと、結局尋ねるのはやめにした。友達に会いたい、勉強をまたはじめたい。それは本当。でもそれは、だからって悪い事をしていいというわけではない。
 私が肩を落とすとエオミスさまも肩を落としたように見えた。何か言いそうだったので、私は手を前に突き出して、エオミスさまの言葉を遮った。
「いえ、いいんです。すみませんでした。叡智を叡智として授かるほど、まだ私は色んなものを持っているとは言えません」
「そうか」
 エオミスさまは目をつぶって微笑んだ。長いもじゃもじゃの髭が揺れた。
「いつか、例え遠い未来になっても叡智を叡智として受け取れるようになったのなら、再びここに来なさい。喜んで教えよう」
「ありがとうございます。エオミスさま。私がその時まで生きているとは思いませんが、努力は必ず」
 ああでも、勉強するために日本との接続をですね……とか言うのももの凄く悪い気がする。私は顔がバッテンになるほど衝動を我慢して、優しいエオミスさまに配慮した。

 惜しい、惜しすぎる。内心未練たらたらで、私は話題を変えることにした。
「これは叡智の話ではないと思うのですが、今日、背の低い木の畑を沢山見ました」
「モロムだね。この地方の貴重な野菜だ。飲み物にもなる」
「やっぱり食べ物だったのですね」
「若い葉はね、我々もモロムの生産を手伝っている。風を送るようにしているのだ」
 エオミスさまは大きな団扇を見せた。あれで風を送っているらしい。なるほど。しかし霧が多い私の故郷も、天空巨人が何柱かいれば、霧をあおいでどっかに散らせることができるのではないだろうか。まあ、あれのおかげで人が生き残った側面もあるから、そうそう大人達は許したりしないだろうけど。
 いや、まて。
「天空巨人は食事をしないと聞いたことがあります」
「飲み物は飲むよ」
「あ、そうなんですね」
 それは知らなかった。どんなものを飲むのだろうかとちょっと気になった。しかし困ったものだ。日本にどうやって帰ろうか。いや、連絡を接続しようか。まあ、掛川で情報を収集しよう。
 下からは執拗にボールが飛んでくる。フジエダさんだ。下を見ると頬に両手をあててとんでもない顔をして口まねしている。

 ぶ りっ こ お ?

 ああ、うんフジエダさん、自分がセンターにいないとすぐこういうことするよね。可哀想。
 私も負けずに変顔で反撃に出る。モリマチさんが飛びながら止めるかどうか迷ってる風。こういうのでも小妖精はダメなんだ。いや、モリマチさんがダメなのかも。争うのが嫌いなようだ。

 まあさておき、口まねだ。

 お バ カ さ ん

 フジエダさんが蹴ったボールが私の顔に当たった。私は落ちるボールを左手で拾った後、メガネを外して確認した。良かった。壊れてない。確認した後しまって、ボールを投げ返した。ついでに薪も投げつけた。薪がフジエダさんにあたる。勝った。勝った。
 しかしフジエダさんは負けを認めず食器とか靴とかなんでも投げてくる。バカじゃないの? 当然私も対応した。モリマチさんがエオミスさまに何か言うのが見えた。しまった。エオミスさまの前だったと思ったらボールがまた頭に当たった。悔しいがボールコントロールはフジエダさんに一日の長どころか百日の長がある。私は落ちた。死ぬところだったが黒い陶器兵とエオミスさまによって助けられた。
 エオミスさまの視線がちょっと痛い。もう少しおしとやかにやれば良かった。