第二話
「あの日」

希望世界 エルス ・清水

 私がいる場所は、日本で言うところの静岡県、 NEOPASA ネオパーサ 清水にあたる場所らしい。
 霧深く、そのおかげで人は戦火から生き延びることができた。身体からカビが生えそうな湿気なんて、この際どうでもいいというくらいに、これは大事なことだった。

 でも、生き延びたからといって、幸せになれるわけでもない。実際私の村は、幸せとは縁遠い場所だった。作物の実りは少なく、生き物はすぐに病気になったから、当然と言えば当然だ。晴れた日が少なすぎるのだった。病気に強く、日光にあまり当たらなくてもいい羊鳥たちがいなければ、私たちはとっくの昔に滅亡していただろう。

 もっとも、滅亡していたほうが良かったのかもしれない。私は生まれて来なければ良かったと、あの日から毎日思っていた。
 日本との連絡が途切れた。あの日から。

 頭をペチペチと叩かれている。うざい。死ねばいいのにと思うが、思うだけで人が死ぬようなことはない。それで私は湯船の中に沈んだ。ここなら小妖精も、来ない。
「シミズさん沈んだよ?」
 元クラスメイトのサッカーバカ、フジエダさんがそう言った。バカというのはどういうことかというと、風呂の中でリフティングしているからだ。これをバカと言わずしてなんと言おう。案の定木の床に脚を滑らせて、湯船に沈んだ。沈んだだけまだよかった気もする。頭から床にぶつかった日には、流石の彼女とて無事で済むまい。
 私は顔を出した。目を回しているフジエダさんを羽交い絞めするような格好で、引き上げる。沈めたままにしてもいいかなと思ったけど、私の家の風呂で水死体か湯死体か、どっちにしても出られると、困る。
「フジエダさん、大丈夫?」
 小妖精のモリマチさんが羽根をばたつかせながら言った。
 不意にフジエダさんが目を開けて飛び起きて、私の頭にぶつかった。眼鏡割れるかと思った。
「危ない! 溺れるところだったよ」
 助けたのは私だと言いたいが、うまく言えないので私はノートに気持ちを書き記そうとした。しかし風呂にそんなものがあるわけもない。私は絶望した。絶望してたら頭をペチペチされた。しかも二人からペチペチされた。全く納得できない。
「大丈夫?」
「頭いたい?」
「べべべ、べつ」
「別に痛くない? 良かった」
 モリマチさんはにこっと笑った。勿論違う。別の意味で頭が痛いと言いたかった。
「やっぱり私たちが来て良かったね」
「うんうん」
 私がうまく喋れないことをいいことに、滅茶苦茶なことを二人は言っている。私は立ち上がって滅茶苦茶に暴れた。お湯も盛大に暴れた。二人がびっくりした顔をしている。

「違う! 私は怒っているのよ!」
 ちゃんと、言えた。モリマチさんとフジエダさんは顔を見合わせて、いい笑顔になっている。
 また頭をペチペチ叩かれた。
「なんだぁ、ちゃんと喋れるじゃん」
 フジエダさんはにこにこして言った。
「うんうん、良かった良かった」
 モリマチさんはホバリングしながら言っている。
「何が良かったのよ。日本との接続が解けたのよ!」
 私が拳を握って言うと、フジエダさんは少し寂しそうに笑った。
「三年も前にね。引っ張りすぎだよシミズさん」
「引っ張って何が悪いの! 皆に会いたくないの!?」
 フジエダさんは言われた後、顔をこわばらせた。
「会いたくないわけがないでしょ。だからこうしてここまで歩いてきたの。違う? じっとしてめそめそしてるシミズさんとは違うよ」
「私は本当に悲しかったの。フジエダさんこそ言われたからって悲しそうな顔しないで」
 言った瞬間髪を掴まれて殴られた。フジエダさんは乱暴だった。私は眼鏡を取ってモリマチさんに渡した後、殴り返した。モリマチさんがあわあわしている間に水中戦になり、ひっかき、ひっかかれ、湯に沈められて、ブレーンバスターで返した。
 どれくらい経ったか。私たち二人は、湯に浮かんだ。まあ、フジエダさんが本気で悲しんでいるのはわかった。
「皆どうしてるかな」
 フジエダさんが、そんなことを言った。私は湯を吹いた。
「日本が滅んだって、大人は言ってるわ」
「アニメ見れないじゃん」
 フジエダさんはそう言ったが、どうせサッカーアニメだというのはわかっている。
「私は信じていないけどね」
「私だって」
 モリマチさんが大人を連れてきたが、喧嘩は終わってしまっている。私たちは黙って湯から上がって、二人で服を着替えた。口の中を切ったのか、血の味がした。
「信じてないならどうすべきだと思う? 待つのはなしで。私たち、もう十分待ったよ」
 フジエダさんはリフティングしながら言った。私はため息をついたあと、眼鏡をかけた。よかった、フレームは歪んでない。
「そうね。でも、どんな大人だって、”窓”を再発見できていない」
 私は眼鏡の隙間からリフティングしているフジエダさんを見た。彼女に仲のいいサッカー部の友達がいたのを、不意に思いだした。たしか NEFCO ネフコ の人。
「でもやるんでしょ」
「まあね」
 フジエダさんはそう言った。私は鼻で笑った。確かにそう。悲しんで日記をつけ続けるよりはいい気がした。