第三話
「女神」

 かつて、二つの世が窓を通じて繋がっていた頃の物語。

幻想交流

 " 希望 エルス "が戦いに呑まれたことがある。

 空気が澄んでいた。鳥が沢山いた。巨人は長いこと、のどかな歌を歌っていた。小さな子供たちがせがむので、ともに歌う技も教えた。

 そのうち、大規模絶技戦が起きた。自分たちは全能であると、歌を覚えた子供たちが勘違いした上での暴走だった。

 大地は削られ、山が隆起し、あるいは丸い穴が穿れ、平野部は海に呑まれた。

 戦闘騎が放たれ、何の意味もなく、多くの子供たち、すなわち市民が蹂躙され、殺され、水に流された。

 そのうち、黒い雨が降った。惑星規模の絶技が使われたのだった。その中心部で何が起きたのかは、誰も知りようがない。何もかもが消滅し、月軌道は大きく動いた。

 かつて女神だった美しい巨人は、黒い雨に打たれながら歌を歌っている。

 もう再生の絶技すら顕現しない。黒い雨が、心まで黒く濡らしていた。雨は何百日も続いた。

 そうして不意に、雨が止んだ。久しぶりに顔をのぞかせた太陽を見て、生き残った人や巨人や妖精は、太陽が破壊されていなかったことを喜んだ。

 それ以外は、ひどい有様だった。

 長く明けない冬が来た。生き残った少数の市民もばたばたと死んだ。もはや市すらも存在せず、市民はただの民になり果てた。数少ない土地、数少ない食料を奪い合い、さらにまたその数を減らした。民は何が良くて何が良かったのかを忘れて生きた。

 かつて女神だった美しい巨人は、透明な雨に打たれながら歌を歌っている。絶技が戻ることはなかったが、他に過ごす方法も知らぬ。

 そのうち、ふいと寒さが和らいだ。民はまた空を見上げ、春の帰還を喜んだ。

 かつて女神だった美しい巨人は、もういつだったか分からない頃の稲の歌を歌っている。いつか足下に見渡す限りの黄金の稲穂が並ぶ頃を夢見ている。

 足下の無数に散らばる骸骨の隙間から、草が出たのはいつからだろう。絶技を使えぬ”地べたすり”が、骨を片づけだしたのは。どうにか水路を引きなおしたのは。
 そのうち稲穂が顔を出し、かつて女神だった美しい巨人は、足下を猫が歩いているのに気づいた。とうの昔に絶滅したと思っていた弱い種族。

 雇って、長い髪を束ねる係にした。三交代六匹である。
 髪をまとめ、古いトーガを巻いて、かつて女神だった美しい巨人は猫の歌を歌った。猫も一緒に歌いだした。

 不意に窓が開いた。

 かつて女神だった美しい巨人は、小声で猫の歌を歌いながら、異世の土地を見て回った。深い霧の中を歩くようなものでまともに見れたものではなかったが、それでも寂しい心を紛らわすことはできた。
 足下から声が聞こえるが、無視した。礼儀を知らぬ子供は嫌いだったし、もはや百万の歌を教える気にもなれなかった。心には後悔だけがあり、黒い雨が降っていた頃から何も変わっていないことを再確認した。

 そして、窓を閉じた。巨人は一度落ち込むと長いのだった。体育座りから回復するまでに50年ばかしかかった。

 半世紀ぶりに猫の歌を歌って窓を開け、異世を見て歩く。珍しい鳥が飛んでいるのに目を奪われ、うろうろしていたのが今日である。
 髪止め係をやっている猫が職務放棄して鳥をおいかけようとするので叱った。そもそも窓では行き来ができない。
 開いて、見るだけ。まあ、窓越しに話をするくらいはできるかもしれないが、それだけだった。

 霧が、薄れている。二つの世の距離が近づいている。向こうが滅びに向かっているのか、こちらが復活をはじめたのか。

 判断が、難しい。
 少し歌を歌えば人の顔だって見分けられるほど鮮明化を掛けられそう。見極めるべきか、異世の事だと放っておくか。
 心に黒い雨が降っている。
 猫の歌が途切れる。