第二十九話
「可能性」

 映像が、消えた。音も聞こえない。
 何が起きたのか分からず、 藤前 ふじまえ は必死に呼びかけた。
「通信途絶しました」
  艦橋 かんばし が静かに報告する。静かな言葉が衝撃波のように管制室の中にいた人々の耳を打った。
 香取が腕を組んで面白くなさそうな顔をした。
「他のチャンネルは生きているか」
 一斉にヘッドセットをつけた人員が確認に入った。
「定点ポイント、長篠設楽原、健在です」
「定点ポイント、浜松、健在です」
「定点ポイント、岡崎、健在です」
「定点ポイント、駿河湾沼津、健在です」
「予備の定点ポイントはどうだ。長篠設楽原周辺でこっち側の情報の集積地?」
 呆然とする藤前をよそに、矢継ぎ早に香取が指示を飛ばした。艦橋が地域の自治体の協力を得て取り付けたカメラを切り替えた。
「今もっくるを確認しています。……大丈夫です。生きています。向こうの鳥の鳴き声を拾っています」
「なるほど。死んだのはハママツさんだけか。長篠設楽原定点から、連絡を試みてくれ」
「分かりました」
 艦橋が気の毒そうに藤前を見た後、何も言わずに作業に入った。
「死んでないといいんだが」
 香取が言うと、藤前が立ち上がった。
「冗談じゃない!」
「立つな。落ち着け。藤前は呼びかけ続けろ」
 艦橋はそう言って腕を組み、首を左右に動かした。管制室に詰めている技術部の人員の方を見る。椅子を回転させて 名鳥 なとり が頷いた。
「原因は分かるか」
希望世界 エルス との通信は情報の集積量で行われています。そこに変動が起きたようです」
「割と切羽詰まっている俺にも分かるように」
 香取が言うと、名鳥は頷いた。
「場所という意味での情報集積では変動がなくて通信は現にできています。現在動いていないのはハママツさんの個人通信だけです」
「それは分かっている」

「あー。ハママツさんの可能性に大きな変動が起きたというか、可能性が減ったのではないかと」
 頭が痛い、という風に香取は首をひねった。
「可能性ってのはなんだ?」
「その人がしでかすかもしれないことです」
 香取は肩をすくめた。
「人間は誰だってしでかすかもしれない」
「ええ、まあ。そう思いたいのは確かです」
 名鳥は冷静に返した。返した後で、言葉を続ける。
「本当にやってしまうような人は、希望世界とこっちの世界の通信に引っ掛かります。二つの世界は釣り合いを取るように情報をやりとりしていて、可能性の大きな人物については常時やりとりしているんです」
「つまり、世界間通信から見れば、やらかす前に分かってしまうってわけか。イヒヒヒ、金になりそうだな」
「公表すればそうでしょうね」
 名鳥は香取の悪い人ごっこに付き合わなかった。香取は笑いをひっこめた後、頭を掻いた。
「ハママツさんが口論して泣いたから、消えたわけだな」
「はい。ロードパンサーの故障はないようですから」
 ロードパンサーとは、ハママツさんの移動に伴って高速道路上を動く NEFCO ネフコ の通信中継車両である。目立つ黄色の車体で、ハママツさんの歩く速度に合わせて路肩や並走する一般道路をゆっくり動いていた。今は長篠設楽原の駐車場で待機している。
 この珍妙な名前はNEXCO中日本の誇る高速道路の状態を時速100kmで確認できる検査車両、ロードタイガーにあやかって名前を付けられていた。
「泣いて可能性が変動するのか」
 香取は首をひねったが、事実は事実である。皆の視線が、必死に呼びかけ続けている藤前に集まった。

 異世界の女の子を泣かせて可能性に変動を起こしたからと言って社則にも法令にも違反はしていない。
 しかし、失敗は失敗だった。誰から見ても失敗だったし、なにより藤前本人が、失敗したと、顔を青くしていた。

 会社でこの手の失敗をしても、すぐに雷が落ちてくることはない。新人でなければ、なおさらである。
 遅れて、打撃が入る。それにしたって始末書などの目に見える形で処罰されることは滅多にない。そっと部署替えが起きる程度である。

 それが分かっているからこそ、藤前は呼びかけをあきらめ、呆然と一分を過ごした後に猛然と行動に移った。
 上長である香取に詫びに行ったのである。
「すみませんでした。失敗しました」
 後ろの席で全部を見ていた香取は、ため息。
「注意したんだがな。いや、分かった」
「分かったって、何が分かったんですか」
 藤前が噛みついた。謝るときは謝るだけをやったがいいんじゃないかという顔をしながら、香取は解説をはじめた。
「ハママツはダメだろ。次の手でいく。考え直さないと」
「人を部品みたいに言わないでください!」
 机を叩いて藤前は迫った。
「そうは言われても。お前もアレもダメだろ」
「アレ言うな!」
 香取は肩を落とした。
「……あのな。怒らせたのYOU。叱ってるのは俺。ついでにお前残業多かったから、丁度いいだろ。今日はもう上がっていい。休め。今後については相談しよう」
「いや、でも」
「お前さ、俺に謝る体で文句言って、本人に謝ってないこと分かってる?」
「……今分かりました」
「どう思う?」
「格好悪いです」
「だよな」
 イヒヒヒと香取は笑った。嫌味な笑いというよりも、この笑いは香取の癖である。
 藤前は香取の笑いを真正面から受けた後、口を開いた。
「責任を取って、なんとかしたいと思います」
「取れる責任ならな。今日のやつは、そんなんじゃない。通信できないのはどうにもならんだろ。まずは技術部の仕事だ。いいから休め」
「技術部でもどうにかできるか分かりませんね」
 話を聞いていた名鳥が、横から声をかけた。言われたそばから香取は顔をしかめる。
「今は説教中だ」
「すみません。緊急事態なので」
 名鳥は頭を下げた。香取は自分と名前の似る髭面を見た後、ため息をついた。
「そこを技術でなんとか」
 名鳥は横目で藤前を気の毒そうに見た後、口を開いた。
「魔法のあるファンタジー世界ではあるんですが、なんでもできるわけじゃないんです。おそらく、今は窓が別の人に移っているはずです」
「あそこにいる人間はナガシノさんだけだな。すぐにチャンネルを切り替えてくれ」
「分かりました。ただ、ナガシノさんはそんなに可能性を持っていません。岡崎に移動すれば、またそこで通信途絶されることが予想されます」
「対応策は?」
「まだありません」
 香取は頭を掻いた。
「急がないと向こうの浜松で人減らしが起きるぞ」
「分かっていますが、技術部にもできないことはあります」
 名鳥と香取は同時に横目で藤前見た。藤前は死にそうな顔をしている。

 そっと背後のドアが開いて、小さく手を振って岩井が姿を見せた。半白の髪を揺らしている。
「やれやれ。やっぱりそうだったか」
「いや、何も言ってないでしょ」
 一秒と待たずに返す香取。岩井は少し笑って藤前を睨んだ後、横を通り過ぎて艦橋の横に立った。
「通信を代わってくれないか。こういうのは経験こそが物をいう」