第二十五話
「香取」

 静かすぎて空調の音が気になる管制室は、この数日、騒がしかった。
  藤前 ふじまえ がばたばた暴れたり、ばったり倒れたりするからである。
 その様子を横目に、香取は眉間に皺を寄せて腕を組んでいた。
「良くないな」
「藤前さんには静かにするようにいっておきます」
  艦橋 かんばし はそう言ったが、香取は違うと手を軽く振った。

「俺は親切な奴だ」
 突然妙なことを言い出した。唐突に妙な所から話を切り出すのが香取という人物の、癖である。
 艦橋は、微妙な顔。
「はぁ、ドワンゴ時代でも聞いたことないですが」
「俺が親切だと言ったら、親切なの。で、今は良くない。非常に良くない」
「はぁ」
 艦橋としてはうっかりコーヒーを注ごうとして香取の横を歩いたらこのていたらくである。
「よし決めた。交代したら藤前呼んでくれ」
 香取は腕を組みなおして言った。
「はぁ」
「お前、はぁ、しか言えんのか」
「じゃあ、ゾスで」
「ゾス?」
「ゾス」
「なんでゾスなんだ」
「話せば長くなります。西暦1600、関ヶ原の戦いが……」
 頭を下げてそう言う艦橋を横目に、香取は遠い目をした。
「やっぱりはぁでいい。藤前は限界だ」
「いや、今から盛り上がってきそうですけど」
「盛り上がるのがいかんと言ってるんだ」

  希望世界 エルス の管制業務は、高速道路と同じようなシステムが使われている。チーム内交替休憩ありの12時間の二交替制で、これに加えて1時間、引継のために後ろから見る時間がある。
 藤前は交替直後に香取から呼ばれた。
「どうしました」
 あぐらをかいて椅子の上に座っている香取の、への字形になっている唇を見物しながら藤前は言った。
 香取は2秒考えた後、口を開いた。
「今までご苦労だった。調査部に戻れるようにする」
「ちょ、何ですかそれは! 何が問題なんですか!」
 1秒で反論が入った。近い近いと藤前の顎を手で押しながら、香取は面白くなさそうに息を吐いた。
「問題はまだない。問題が起きないようにするのは俺の仕事。分かる?」
「分かりません!」
 元気良く言った藤前を細目で見る香取。この人物、野人風の姿だが意外に目端も利けば頭もいいということで、 NEFCO ネフコ に来てからも評価が高い人物だった。
「あのな。お前は限界だ。感情移入しすぎだし、そのせいで疲れすぎている。シフトもぼろぼろ」
「体力には自信があります!」
「そういう問題じゃない」
「納得できません!」
「近い近い近い」
 香取は盛大にため息をついたあと、口を開いた。
「お前さ、希望世界に手が届かないことは知ってるな」
「もちろんです。でも、だからこそ我々が」
 胸を張って言う藤前を、香取は手で遮った。
「ああ、うん。そうそう。そうなんだけど、そうですけどね。いいか、つまり藤前、お前は絶対に失恋する」
「誰・が・失・恋・で・す・か」
「お・前・だ・藤・前」
 背後で艦橋が爆笑しているが、香取は後でしめる、〆サバにしてやると思いながら盛大にため息をついた。
 藤前はがなりたてはじめた。
「失恋の前には恋愛が必要です。恋愛の前にはいい雰囲気にならないといけません! よく見てください。この状況の、どこが! いい雰囲気かと」
「悪い雰囲気だったらいいだろ、変わっても」
「それは敵前逃亡です」
 藤前は目をぐるぐるさせて言った。
「そうは言うても、お前絶対やられてるって」
「やられてません」
「若く健康的な太股とかに目がいっている」
「セクハラですよ!」
「お前がな。いいから、俺の言うことは聞いといたほうがいい。親切で言うが、お前はあとで、盛大な泣きを見る」
「見ません」
 香取は藤前を見た。藤前は動じなかった。
 長い沈黙のあと、香取は先に目を逸らした。
「どんなにがんばっても、指だって触れられないんだぜ」