第二十話
「起床」

  藤前 ふじまえ が目を覚ましたのは、13時間後だった。
 いつのまにか家で寝ていた。いや、退勤して玄関までたどりついたことまではかろうじて覚えている。その後は覚えていない。気を失っていた。
 いや、それどころではない。急いで服を着替えて出勤。食事はコンビニで購入した。猛烈社員だなと思うが、いや、正直に言えば仕事のためではない。
 いけすかない女のためだ。
 あれ、どっちが酷い話なのかなと、藤前は思った。思っただけだ。口にはしない。24時間の休みをもらっていたのを、出社後に思い出した。
 おそるおそる管制室に顔を出す。上司にあたる 香取 かとり が顔をしかめたが、幸い見ないことにしてくれたようだった。
 ありがたいと、詰めている人員の席の後ろに立つ。人員不足で派遣されている、 艦橋 かんばし だった。
 わざとらしい笑顔を見せる藤前をあきれた目で見ている。
「まだ交代までだいぶありますよ」
「あ、いや。うん。そうなんだけど、ちょっと暇で」
「暇ね……。はいはい。大丈夫。藤前さんの恋人はぐーすか寝てますよ」
「恋人じゃない。それと、寝過ぎじゃないか」
「旅立ちの前から寝付き悪かったみたいですし、向こうは身体動かしてますからねえ」
 藤前はモニターを見た。口をあけてだらしなく寝ているハママツを見て、妙に腹が立つ。
 起きろと怒鳴りたい。いや、その前に。
 手を伸ばしてモニターの電源を切った。
「この間抜けな顔は見せ物じゃない。遠慮してくれ」
 艦橋は何か言おうとして、やめた。
「はいはい。まあ、ともあれ休んでくださいよ。次は12時間勤務なんですから」
「分かっている」
「分かってるのかなー」
 非難の目で見られ、追われるように会社を出る。管制センター以外から声をかけられればいいのになと考えた後、ずっとあの女と話し続けるのは嫌だなと思い直した。
 そう。嫌だ。口を開けばすぐうるさい。しかも人の言うことはとんと聞いてないときてる。ああくそ、どうせならもっと別の人物を担当したかった。
 これは僕の悲劇だ。なにせ気が休まらない。
 自衛する能力もないし、人の話は聞かないし、計画性もないし、あと、走って逃げる時に母の形見とかそういうことは言うのは反則だ。あと相性が悪い。
 十分に怒りを思い出した後、よし、僕も寝てやるという気になった。そうだ。僕は間違っていた。
 勢い良く家に帰って断固として寝る。あれが目を覚ましたときに別の人間が担当でも構うものか。そもそも信頼関係などない。

 ああ、ない。

 全力で会社に戻ってやっぱり勤務がしたいと上司である香取に言った。自分でもなんでそんなことをしたのか、不思議だった。
 香取は腕を組んで話を聞いた後、目を開いて藤前を見た。
「駄目」
「なぜですか! 仕事する気満々ですよ!」
「労働基準監督署。はい復唱して」
「労働基準監督署。あのこれがなにか」
「略して労基ね。俺、こことは喧嘩したくない」
「いや、でも」
「ああもううるさいうるさい。なんだ?」
 なぜか藤前は傷ついた顔をしている。香取の方が、焦った。
「分かりました」
 幽鬼のように上体を揺らしながら管制室を去っていく藤前。香取は眉を小刻みに動かした後、部下に尋ねた。
「なあ、今のどう考えても俺の方が正しかったよな?」
「どうですかねー」
 艦橋が椅子を回して言った。猫のマグカップにお茶を入れている。
「いや、俺の方が正しい」
「そう思うなら聞かなきゃいいのに」
「なんだと」
「いえ、なんでもありません。しかし、わずか数日で入れ込んでますね。藤前さん」
「あー。まあ、ハママツさんは残念娘だからな」
「出来の悪い子の方が可愛い、ですか」
 香取はイヒヒヒと笑った。

 藤前は力なく家に帰って、寝た。香取のうるさいうるさいという言葉がハママツに似ていて、なんというかショックだったのである。自分でもなんでショックなのかは分からない。
 もういい。寝る。寝るに限る。寝るしかない。寝れば時間が飛ぶものだ。さっと時間を飛ばして、あのいけ好かない仕事をやろう。そして役目を果たして気持ちよく寝る。
 寝るのだけが人生だ。

 しかし、こんな時に限って寝れないのだった。