第八話
「嘘」

○川崎管制センター

 人生で生まれて初めて、心労から腹痛になった。有事や非常事態でも日本のインフラを再建、維持できるよう隅々まで配慮された結果、水がいらないトイレに座り、 艦橋 かんばし は自分の頭を両手で掻いた。
 岩井さん、もっとうまく、もっと僕たちを騙してくれよと思うが、友人として 藤前 ふじまえ が抜け殻みたいになったところは見ているので、あれはあれで仕方なかった気はする。
 浜松さんがハママツさんだとすれば、あんなフジマエをほっとけなかったんだろう。気持ちは分かる。分かるけども。
 まーずいなー。世界移動はほんとまずいなぁ。日本どころか世界経済やミリタリーパワーバランスが崩れる可能性すらある。戦闘騎、だっけ。あれ自身は自衛隊より弱い気もするけど、あれだってこっちじゃ完全に世論に封殺されているバイオテクノロジーの類だろう。向こうとこっちじゃ生命倫理からして違う。あっちに一旦科学者送って、逆輸入させる形で世論回避とかした日には、うん。そんなものを見るはるかに前に僕は死ぬ。殺される。岩井さんはどうだろう。その辺知った上で動いたんだろうか。それとも、うかつだったか。
 岩井さんは頭いいのはいいのだけれど、うかつ、という線も実にある。人間はいつでも完全にスペックを出せるわけじゃない。だから会社なんてものを作る。僕も同じだ。一人じゃ駄目だ。
 そう、駄目だな。やっぱり岩井さんとどうにかして連絡取ろう。リスクは高いが、このままおびえ続けてポロリするのも危ない。僕の身の安全だけではない。日本全体に波及しうるなら、そんな責任、一人じゃ負いたくない。皆だ、皆で分かち合おう。

 以上、トイレの中の一人会議終わり。艦橋は腹をさすりながら管制センターに戻った。顔色は悪いだろうから、誰も違和感は持たなかった。
 小久保は駿河湾沼津のモニター情報を自分の画面の方に移してまだ眺めている。実に楽しそう。
 まあ、他と比べて楽しそうなのは確かだ。文句が出るかと思ったが、意外に利用者からも好評らしくトラックの運ちゃんとか、近所のフラダンスやっているご婦人の団体とかが結構寄って大地巨人のお姉さんを眺めたり、一緒に踊ったりしているとのこと。
 艦橋は NEOPASA ネオパーサ 駿河湾沼津の情報を引っ張り出して手元の資料で見た。
 しかしまあ、今の時代に紙である。資源がどうこうと言いたいが、使うとやっぱり紙は便利で、それで紙資料を今でも使い続けている。職場にコピー機が並んでいるのも、もう慣れてしまった。もっとも、そんなに酷使しているわけでもないのに、最近よく故障するようで今日も業者がきている。
 集中し、指差しで資料に目を通して、岩井という名前に突き当たる。指で当該箇所を2、3度叩く。考える。
 電話やメールや手紙は防諜の観点から避けるべきだろう、直接接触の方がいい。
 腹を抑えながら席を立つ。
「小久保さん、そんなに気になるなら、今度駿河湾沼津に行ってみますか」
「え?」
 小久保は目を丸くした。艦橋は、少し表情を和らげた。
希望世界 エルス の駿河湾沼津の領主さまが最近機嫌を悪くしているようなんで、対応が必要なんですよ。ちょっと現地で対応している社員かその上司にお願いしないといけません」
 部署が違うので指示、という言葉にはならないが、強い要請という形なら話が通せるだろうという考えである。
 小久保は何故か照れている。
「いやー。行けますか。じゃあ、行きます。楽しみだな」
「まあ、モニターで見るのとあまり変わりませんけどね」
 そう言って、手配を引き受けた。一方、上司には小久保さんが研究で実際に見てみたいと言っていますなどといって一泊の出張を取り付ける。同時に、駿河湾沼津でのイベントを企画している部署に連絡して本件クレームが領主から入っているので協議したいと申し入れる。
 多方面に同時に嘘を展開して艦橋は動き出した。
(あとは領主さまだな)
 希望世界の駿河湾沼津を治める領主に、ちょっと怒って貰わないといけない。