第三十九話
「家庭」

〇最近の 石清水 いわしみず
 石清水の朝は早い。何がどうしてそうなったか本人にしたって分からないが、異世界の領主(しかも少女)の家来になったらこうなった。学生時代の友人に言ったら、残念な人扱いされるか首を絞められるような状況だったが、当の本人としてはなんの感慨もなかった。仕事にやる気や感慨を持ち込まない主義だったのである。やる気は僕の給料の中に入っていません。というのが彼の主張だった。
 とはいえ、家来になった。なってしまった。その前の大虎のお姉さんの相手よりはまあいいかと思い、今に至る。とはいえ少女の相手の仕方も家来のやり方も分からないので、石清水は日々、ギャグを言って過ごしていた。領主もノリが良くて毎日付き合ってくれており、それなりに楽しい。

 楽しいは楽しいのだが、この業務は、勤務として認められなかった。女の子と話すのは仕事じゃないですよねと割と本気で人事部の担当から言われたせいだった。反論したかったが、石清水は、ビビった。憎しみの目に射すくめられたからである。相手は本気だった。
 思えばあの担当、スルガさんのファンだとか言ってた気がする。へーとか言わなかったら別の道もあったやも知れぬ。
 それで仕方なく通常業務の傍ら、スルガさんの相手をした。朝の数時間だけギャグをやる。スルガさんは聞き分けも良く頭も良かったので、文句も言われず手間らしい手間もかからず、日々漫才をして過ごしている。

 不満と言えば仕事の関係で夜遅い妻と生活時間がずれてしまっていることだった。嫌だなあと思っていたら、妻の方が妥協して、あるいは喜んで深夜の仕事を満喫して、石清水の朝食に付き合うことになった。入れ替わりで就寝する様な形である。

 その朝食時間は石清水家で一番忙しい時間である。仕事に行くから、というのも一つあるが、夫婦が交互にキッチンに立つからである。キッチンに人が立つと、家は忙しい感じになる。
 石清水の家では夫が後片付けというか洗い物当番、妻が朝食作り当番である。洗い物をしたら、石清水は職場へ向かうという段取りだった。昼も夜も仕事の関係でばらばらに食事を摂るので、朝食は他の家よりかなり気合の入ったものである。板海苔から作った海苔の佃煮に、大根と鶏肉と人参の煮しめ、焼き魚、卵焼き、納豆、御飯、味噌汁。香の物は蕪。いつもなら手作りだが、夫婦で旅行した時に旅先で買ったものがあったのでここ最近は出来合いで済ませていた。
 迷い箸を妻に怒られぬようにツッコミのごとく食べ物をチョイスし、神速で箸を使い、しかるのちにゆっくり噛んで食べていた石清水は、妻の視線に気づいた。妻がこちらを見て、凝視している。
「どうしたの?」
「速澄くん、最近元気になってるな」
「そうかな」
 負荷は軽いとはいえ、労働時間的には前より長い。やっぱりあれも残業という形にしてもらおうと石清水は遠い目をした。妻は特に笑うでもなく、頷いて短めの髪をかきあげた。
「うん。元気だよ。一時は物凄く、追い詰められていたように見えていたから」
「そうか。そうかな」
 まあ、大虎のお姉さんの相手はなー。と石清水もそう言って納得したが、妻はもう一段深い読みをしていた。
「いや、仕事でひどい目あったからとかじゃなく」
「他に何があるの」
 石清水、姿勢を正して話を聞くことにした。妻は超能力者だと、半分くらい思っている。へそくりは全部見つけられたし、自分でも気づかない体の不調に気付いてくれることもある。
 妻は目を細めて腕を組んだ。
「今の速澄くんとなら結婚してないかも」
「やめて! 嘘、太った!?」
 妻は石清水を睨んだ。石清水は土下座した。
「すみませんでした」
「分かってくれて嬉しいわ」
 妻はギャグを理解しない。むしろ、だからこそ結婚した。妻は半眼のあと、口を開いた。
「今は元気ありそうだから」
「それが?」
「元気なさそうだから結婚してあげたのよね」
「わーい。当時元気なくて本当によかったー」
 両手をあげてそう言ったところで睨まれて再び土下座、平伏した。石清水家の家内政治は恐怖政治であった。
 まあうん。しかし、僕が元気なかったから結婚したかぁ。
 漢らしい妻の判断に感服したが、どうせならもっと別のところにも魅力があったと言って欲しかった。むろん元気がなかっただけとは思わないが、思いたくないが。
 しかし石清水の妻の場合、本当にただそれだけがありうるから恐ろしい。石清水は生まれたての小鹿のように震えたあと、病気になろう、さもなければ別の魅力を作ろうと思った。

 食事のあとは、洗い物である。石清水はシンクが汚れているのが我慢できないタイプで、妻に替わって洗い物当番を奪っていた。ちなみに料理は石清水の方が上手い、と思っている。思ってはいるが、シンクの汚れや使い終わった後の食器の放置プレイには耐えられず、今に至る。
 洗い物を終えて皿を拭いていると、椅子に座った妻が腕と脚を組みながら口を開いた。

「まあ、あの時はボロボロだったからね。速澄くん」
「そうでしたっけ?」
 石清水はそう返した後、苦笑して見せた。