第三十八話
「飲み会」

〇愛知県名古屋市 栄のバー
 荒木はかつて NEFCO ネフコ の幹部職員だった男である。巨人や妖精の前で踊ったのは、 石清水 いわしみず が初めてではない。最初はこの男であり、その結果として幻想交流は始まった。
 彼の耳には今もテンテケテンと音が残っている。

 その日、荒木は車にも乗らず、歩いて名古屋市内の打ち合わせ場所に出向いた。公的な打ち合わせではなく、名称は飲み会である。ただまあ、荒木くらいの年齢、ポストになるとただの飲み会というものはめっきり少なくなる。つまりそういう覚悟はある、ということだ。
 半地下のバー。明かりは落とされ、夜が夜であることを主張しているかのよう。席の前に置かれたキャンドルがいい感じ。
 栄も場末のここでは他の社員も、オタクもいない。渋い佇まいで、一人で来るにはいいなと荒木は店の中を見て思った。ただまあ、鹿の頭のはく製はいかがなものか。

 先に来ているであろう相手を探す。いた。
  木林 きばやし は小さく手をあげて、自分の居場所を示した。カウンターバーの、隅の席。
「お久しぶりです。木林さん」
「おお」
 木林は笑顔を見せてサイダーならぬビールの瓶を見せ、先にやっていると示した。

 隣に座り、注文。ドライマティーニ。燃えるような刺激を飲む。荒木も木林も、ただ笑顔で飲んだ。目の前に置かれた小さなキャンドルの火が揺らめいている。
「NEFCOに乾杯」
「今となってはお互い部署が変わったけどな」
 いろいろな職場を転々として育っていくのがサラリーマンというものである。大会社の本流にいればゼネラリストとしてあちこちを経験させられる。荒木はまさにそれだった。木林はひと段落というところだが、ここからはサラリーマンの仕上げとして、一つ二つ大仕事が待っている。
「木林さんが声かけて来るから、てっきりNEFCOがらみかと思ったんですが、違いましたか」
 木林はビールを飲む手を止めた。
「どうしてそう思った?」
NEOPASA駿河湾沼津 ネオパーサ で、しゃしゃり出てきたと」
「クレームか」
「いえ、笑い話ですよ。さすが木林さんと皆感心してました」

 木林は少し考えたあと苦笑をして見せた。一度でも手掛けた仕事なら、何年たっても覚えていて面倒を見る。それが木林という人物の仕事の流儀である。彼はそれで、人材も実績も作ってきた。
 一方荒木はそうではない。荒木は部署が変わると綺麗に手を引く方だった。代わりに後任の人間には、自分より優秀な人間を推してきたという自負がある。これまた、流儀というものだ。荒木は荒木で、これで人材や実績を作ってきている。
 どちらが正解というわけでもない。サラリーマンには色々な道がある。二人は二人とも自分と異なる流儀の相手を嫌ってはいなかった。むしろこうやって酒を飲みかわすのだから、仲は良いと言ってよかった。
「なあ、荒木」
「なんですか」
「NEFCOにいた時にはついぞできなかったんだが、俺も向こうの人と話ができたよ」
希望世界 エルス ですか。ああ、それは良かった」
「良かったかは分からん」
 本題ですかと荒木は視線を投げたが、木林は視線に気づかずに泡の出る液体を見ていた。
「おかげで、宿題を背負った気になった」
「どんな宿題ですか」
「向こうを幸せにする」
 木林の言葉に荒木は笑うかどうかの思案顔、結局笑って酒をあおった。この人と飲むなら弱い酒の方がよさそうだ。この人との酒は、よく進む。
「さすが木林さんだ」
「からかっているのか」
 荒木は酒を飲んでいる時くらいしか真顔にならない。この時がそうだった。居住まいを正した。
「いえ、今のは心からの尊敬ですよ。この世のどれだけの人間が真面目な顔でそんなこと言えるもんですか」
 噂話では木林は希望世界の住人に、騎士と呼ばれているらしい。確かにこういうキザなところが騎士たるところかもなと荒木は笑顔で考えた。
「んで、僕にどんな頼み事を?」
 こちらとしては水を向けたつもりが、なぜか木林は警戒している。不思議な感じであった。
 木林は言葉を選びながら口を開いた。
「向こうで犯罪捜査の協力をしてな。放火の」
「地域の消防団の協力とか講演とかなら遠州森町でやってますよ」
「そうじゃない。犯人は捕まえられたんだが、妙なところがあった」
「妙、ですか」
 荒木の想像外のところに会話が流れている。
「ああ。放火の仕方や敵の動き方が、遅れている……というか、放火という方法からして、朴訥な向こうのやり方と大分違った。魔法というか絶技ってやつのせいで深く考えることを放棄したのか、良くも悪くも希望世界の住人は直接的に暴力を使うもんだ。放火で政治不安や領主の統治能力に揺さぶりをかけてくるような事はしない、いや思いつきもしないだろう」
 あれ、まさか俺黒幕と見られている? と荒木は慌てた。
「NEFCOは放火をけしかけるようなことはしてませんよ。というよりも、NEFCOにとって駿河湾沼津は生命線です。岡崎の領主と揉めている今、高速道路を建設できそうな力を持つ領主はどれだけ問題抱えていてもあそこのあの領主しかいない。むしろNEFCOは存続のために若手社員の一人や二人喜んで差し出しますよ」
 そもそも、荒木は今もたまにあのお立ち台に登って猫を身体にぶらさげた巨人と話をすることがある。触れ合うこともできない間柄なれど、友人のつもりだった。とはいえ、それを正直に言える荒木でもない。本音は隠すのである。
「ん? あの 石清水 いわしみず くんという人物なら、いや、そっちは心配してない。あれは希望世界の味方だろう」
「会社としてですよ。NEFCOは希望世界のためにある。ちっぽけな善意だが、だからこそ本気で我々はやっている。それがNEFCOです。いや、今となっては僕は部署移動してますけどね。いや、それでも」
「信じていいか。あのお嬢さんたちの不幸な顛末を見世物にするようなことはないか」
「ありませんよ。もちろんこれは上の方も同じです」
 木林は腕を組んだ。
「だとすれば、誰かが我々とは別に窓を開けてやり取りをしている」
 虚を突かれて荒木は顔をしかめた。
 木林は頷いた。
「もう一ついるんだよ。希望世界に介入している連中が」