第三十四話
「価値」

希望世界 エルス   駿河湾沼津 するがわんぬまづ  領主の館

 最近、イワシミズというか、イワシミズが操作する小鳥が朝だけでなく、夜のバルコニーに止まっていることが多くなった。
 スルガさんは、ちょっと嬉しい。けして口にはしないけれど。口にしたら、なぜか融けて消えそうな気がするから。

「いい子は寝る時間ですよ」
 月を背後に、小鳥は手すりの上にチッチッチと踊りながら言った。
「領主ともなると夜にも仕事があるのよ」
 スルガさんは澄まして言ったが、寝間着姿だった。ベッドに入る。小鳥は笑うでもなく、踊っていた。
 笑わないのは褒めてあげましょうという顔をしたが、どうも気付いた様子はない。小鳥の姿では夜目が利かないのかもしれない。
 あきらめて、床に入ったまま口を開いた。
「なにかお話をして?」
「話すことはないなぁ」
「なんでやねん」

 ベッドの中でツッコんだスルガさんに、小鳥は少し微笑んで嘴を開いた。
「物を教える立場になって思うのは、話すことの少ない人生だ。誇ることの少ない人生だった。今はそれがとても悲しい」
 なんでやねんと言いかけて、スルガさんは声色を少し変えた。
「そんなことないわ。ニホンのことはよくわからないけれど、多分。だって、凄い修行をしないと絶技を避けられたりしないもの」
「そんなことに価値はないなあ」
「なんになら価値があるの?」

 小鳥は巨大な月を見上げて嘴を開いた。

「笑いには価値がある」
「イワシミズのいう笑いってなに?」
 言われて小鳥は小さく翼を振った。
「笑いは笑い。ツッコミと同じ。それ以上でもないし、それ以下でもない。しいて言うならただ一つ、人間はある一線を越えたものを見たら、笑うしかなくなる。悲劇でも、凄いものでも、皆同じ」
「大妖精も?」
 スルガさんが問うと、小鳥は少しだけ頷いた。
「大妖精でも。巨人でも。どんなものにもそれは効く。十分に速く、十分に重く、十分に狙いすませば」
 石清水は小さな翼を振った。連続して翼を突き出し、回転する。
 人間の目には見えないが大妖精の目には見える力で、翼の先に青い光が灯った。リューン、精霊たちがその技に感応して集まってきていた。
 絶技の使えない種族であるただの人間が、ただの努力だけで、しかも小鳥の姿なのに、僅かとはいえリューンを従えている。
 光の線を描いて小鳥は踊った。流れるように舞うその様は、月光の下でひどく幻想的に見えた。
 確かに笑うしかなかった。スルガさんは少し微笑んだ。
「ほんとうにそうね。私は笑っているわ」
 小鳥は苦笑した。
「微笑どまりだけどね。この頃、なんで就職したのかと思っているよ」
NEFCO ネフコ のこと? 私の家来になったこと?」
「NEFCOのこと」
「でもそれがあったから、私の家来になれたのよ。自慢していいわよ。私の家来はそんなにいないんだから」
「そうか。ん。いい事なんですか、それは」
 知らないと言ってスルガさんは目を瞑った。出来る事ならば、自分も努力をしてみたいものだと思った。なぜなら私はツッコミのボンベイ・ブラッド。種族がどうとか、領主がどうとか、小娘だからとか、こまけえことはいいんだよと言い放ち、ただの実力で生きてみたい。

 小鳥は静かに窓を閉めながら声をかけてきた。
「身体のキレがキレッキレなら、それだけでも人は笑う。スルガさん、笑わせる人になりなさい。その拳も、この脚も、そのためにあると信じなさい。信じることは大切だ。信じるからこそ拳に力は宿る」
 小鳥は月を背に言った。
「十分に速ければ、笑わせられないものなど何もない。それが僕の、ただ一つの教え。全てはそのための準備だ」

 翌日、執務室にてスルガさんが領主の椅子に座って修行の事を考えていると、リプダが頭を下げて部屋に入って来た。最近何がどうなったのか、館の使用人たちがやけに恭しく頭を下げて来る。まあ、細かい事はどうでもいいんだけど。
 リプダは背筋を伸ばして報告を読み上げている。
「先日の反乱者から、財貨を返還させました」
「そう」
 震脚をもっと発展させられないだろうか。もっと優れたツッコミの方法は、きっとあるはず。いや、仕事しないといけない。仕事の中にもツッコミの役に立つことは隠れている。最近スルガさんはそう思うようになった。
 スルガさんはリプダを見た。かしこまった姿の彼女は、領主の判断を欲しがっている。
「その上で、いかがいたしましょう。一族郎党処刑が適当と思われますが」
「ボケの才能がないからって死刑にする必要はないでしょう。家族や郎党はなおさらです」
「ボケ……ですか」
 リプダは怪訝な顔。まあ、ニホンの戦士しかしらぬ言葉だろうから仕方ない。
「そう、ボケ。いや、分からないでもいい。とにかく不要よ?」
「承知いたしました。ご厚情を勘違いさせぬようにした上で放免いたします」
「はい」
 甘い、と言外に言われたようだがスルガさんは気にしなかった。どんなものにも哲学があり、方向性がある。この世にどれが正解というものもない。
 でも誰かが決めて、それに同意するから正解がある。ツッコミとは、正解を決めることである。
 ツッコミがなんでやねんと言ったらそれはなんでやねんなのだ。

 さておき次々と報告が上がって来ていた。前と比べて10倍どころか100倍くらい細かい報告と判断が要求されるようになった。こまけえことはどうだっていいと事あるごとに思っているスルガさんだが、さすがに亡き父の仕事をおろそかには出来なかった。
 それに、これはおそらくだが、これでもリプダの方で相当厳選しているのだろう。逃げ出した部下の代わりをやっているのだから、一々文句を言うのも笑いが取れない。

 慌てた様子の兵士が一人走って来る。絶技があれば人間の兵士なんていらないと常々スルガさんは思っていたが、最近はそうでもない。いつかイワシミズみたいになるかもしれないと思えば、考えも変わろうというものだった。
 兵士は慌ててリプダに耳打ちしている。直接言わないのは何故だろう。
 突然リプダが平伏した。なに、なにがあったの?
「先日、街であった火災の件ですが」
「それなら私が消したわよ」
「はい。それは存じております。秘密にされていたようですが、リプダにはすぐ分かりました。いえ……用件はそのことではなく、その原因というか火をつけた者が捕まりまして」
「自分たちが住むところに火をつけたの?」
「原因は分かりません。先ほど、道路工事で働く半巨人が捕まえてきまして取り急ぎ報告をした次第です」
「なるほど」
 スルガさんは少し考えた。リプダの性格からして、拷問とまではいかなくても自白をとるためにキツイ責めとかはありそうである。それはちょっと笑えない。
「私が調べます。絶技を使った方が、簡単だから」
「承知いたしました」