第三十三話
「ため息」

〇川崎管制センター

 憂鬱である。鬱々としている。監視されていると知って気持ちのいいものでもない。
 出社の前から出社までそうである。仕事中はどうかというと、些細なことがひどく気になって仕方なかった。いや、まだ仕事時間になってないけど。

 まあ、そのつまり、どういうことかと言えば。

 つまるところ、僕は心をやられている。 艦橋 かんばし は目を彷徨わせた。
 ああくそ、なんで僕を監視するんだ。というか、あいつら何を考えている? 姿見せて監視してますって、なんだよ? バカなの?
 いや、分かってますよ。脅しですよね。問題はどういう脅しかってことだ。それくらい説明して欲しかった。なんて嫌な連中だろう。そもそもあいつらは政府機関なのだろうか。それとも外国の機関なのだろうか。
 もー。なんなんだよ。何させたいの? せめてそれ言って欲しかった。

 自分の席で頭を抱えながら管制室を臨む会議スペースに入る。 希望世界 エルス の管制はこの会議スペースを間借りして行われていた。別室にもっと大きな会議室があってそこを使いたいと要望はしているのだが、災害などの非常事態時での指揮能力を保持するため、受け入れられていなかった。まあ、優先順位としては希望世界より自国の話ですよねと、艦橋も納得している。もっとも、悪い意味で今後はどうなるか分からない。
 希望世界に触れられないという前提が崩れれば、どうなることやら。まあ、その時はどうあれ NEFCO ネフコ 解散だろう。善意と興味本位で成り立つとはいえ、NEFCOは私企業だ。希望世界に巨大な利権が発生し始めたら、どこかの誰かに吹いて弾き飛ばされてしまうだろう。というか、すでに監視がついているんですけど。参ったなあ、なんだろう。あいつら。非常に気持ち悪い。別に悪い事は何もしてないけど、監視されるのは嫌だ。やっぱり上司に報告、相談でもしてみようか。香取さんなら……いや、あの人絶対面白がって事態がさらにややこしくなる。それについては賭けていい。

 ため息。管制室の大きなスクリーンには今日もNEXCO中日本の管理する高速道路の様子が映っている。希望世界の様子もあの大スクリーンで見たい、とは思うのだが、まだまだ希望世界は復興の初期段階であり、見ていて気持ちのいいものでもないものが映る時があって実現していない。たまにやってくる官公庁や諸外国の見学者や、見学会でやってきた義勇社員がショックを受ける可能性がある。
 その点、ハママツさんはよかった。いやあの娘の旅も大変ではあったのだが、その大変さを忘れさせるような輝きがあった。ぐーたらしている女の子は実にいい。今思えばあの娘は癒し枠だったな。そういや、ナガシノさんとも連絡とらないといけない。

 まだ勤務時間前ではあるのだが、首を伸ばしてモニターを覗き見ると、また 石清水 いわしみず がスルガさんに変な事を教えていた。いつもは気に食わないながらもまあ、スルガさんは寂しかろうから道化師もいるだろうと思っていたが、今日は、お前のギャグは面白くないと説教したい気分だった。そもそもスルガさんは自分がお笑いの訓練をしていると思っているのかも怪しい。一度本格的に説教せねばなるまい。いや、それがどういうことか、監視してる連中がどう思うか評価するのが先か。ああもう、なにもかもが面倒くさい。
 盛大なため息。

「どうしたんですか。ため息なんかついて」
 小久保がフロアに足がついてない様子で歩いてきた。頬に艶があって血色が良く、酒でも飲んでるのかとびっくりした。しかし、酒臭くはないし、そういう様子でもない。しかし、ツヤツヤしている。なんだこの人。出社前に猫カフェにでも行ってきたのだろうか。
 小久保はよくわかってない様子。艦橋の前で一周して見せた。いや、酒は入ってないかもしれないが、いや、なんというか、様子が変だった。
「僕のため息より、どうしちゃったんですか。小久保さん。一気に残念なことに」
「いやいや、え、なんですかその反応」
「知り合いの 藤前 ふじまえ って人に似てますよ」
「失礼な! いや、実はですね、僕彼女できたんですよ」
 聞いてもない事を言い出して、艦橋はさらに気分をささくれさせた。いけないいけない。状況はさておき、他人の慶事くらいは喜んでやらねば僕の社会性が死ぬ。
 はぁ、それはおめでとうございますと言いかけて、艦橋は新調した眼鏡が下がるのを感じた。小久保は優秀な研究職がだいたいそうであるように非モテの要素を満載、いや過積載している。それにしたって結婚もすれば子供だっていつかはできるかもしれないが、その場合なんというかもつれた試合のあげくのオウンゴールみたいな結婚になるはずだ。こういう喜色満面という状況になった人を知らない。いや、知ってる。これはあれだ、夜のお店でカモになっているのに気付いてない顔だ。
 艦橋は眼鏡を取って、眼鏡を拭いた。しかし、それを伝えるとムキになって否定しそうなところが嫌だな。僕だってそんなことで喧嘩はしたくない。まあ、酷い目にあったあとで酒をおごるくらいにしようか。
 艦橋は嘘くさいほどにんまりと笑ったが、小久保には通じなかった。彼は回っていた。
「まあ、艦橋さんにもいいことありますよ。ははは」
 ははは。こやつめ。
 笑顔でバックドロップしてやりたいが仕事時間前だ仕事しろと言いかけたところで、小久保がスマホを取り出した。
「この人です!」
「いや、そろそろ仕事……」
 思わずスマホを凝視した。この顔には覚えがある。
「イトウって名乗ってませんでした?」
「ええ。知り合いなんですか!?」
「いえ。勘です。そろそろ仕事時間ですよ。交代前に張り付かないと」
 艦橋はそう言って予備というか交代要員用の椅子に座った。異世界の様子を見ながらはらわたが煮えくり返っているのを感じた。純真なオタクを弄びやがって。あいつらマジで何考えてるんだ。