第二十八話
「美女」

○川崎管制センター

 川崎管制センターに間借りしている NEFCO ネフコ に直電が掛かってくることはあまりない。
固定電話器も10台ほどしかなく、かつて幽霊騒ぎが頻発した頃と比較して隔日の趣があった。
 その電話が鳴って顔をしかめたのは 艦橋 かんばし である。彼はいつ自分の謀が露呈するかと、日々胃を痛めていた。
「NEFCO川崎管制です」
「その声は艦橋くんかい。実は頼みがあって……」
木林 きばやし さん? 業務用の電話でなんですか」
「向こうの 駿河湾沼津 するがわんぬまづ の不審火調査、手伝いたくてな。それで夜の間だけでいいのでロードパンサー貸してくれないかと」
 また無茶を、と艦橋は顔をしかめたが、思えばそんなに悪い話でもないかもしれない。はやくロードパンサーを解放しろと多方向から言われている手前、不審火の捜査はロードパンサーを今少し占有するいい理由になると思ったのである。
「分かりました。許可します」
「話が早いな。諮ってみますとか、あると思ったが」
「岡崎とぎくしゃくしてる以上、希望世界復興の柱が駿河湾沼津です。そこで政権転覆などが起きると非常にまずい。それにスルガさんの能力は土木建築の分野において非常に有用です」
「よしきた。じゃあ、すぐやってみる」
「頼みますから壊さないでくださいよ。貴重品なんだから」
「分かってる分かってる」
 分かってないだろと艦橋は思ったが、それ以上は言わなかった。ロードパンサー製造にいくらかかったなんて、もともとNEFCOにいた木林には説明不要だろう。
 電話を切って今後の事を考える。なんで自分がこうも苦労せねばならんのかと思うが、自分ががんばらないとこの国も、自分の知り合いも、えらいことになる気がしている。
 気のせい、ということにするにしたかったが、それにしては艦橋の知恵は回り過ぎた。

 ともあれ今後の話だ。目的は、はっきりしている。世界移動の秘密を秘密にしたままにする。それができなくても信用できるところに渡して情報秘匿を試みる。
 問題は作戦。それをどうやるかだ。一番危ないのはまあ、 藤前 ふじまえ さんとその奥さん、義父にあたる岩井さんだろう。岩井さんとあって調整しないといけない。 石清水 いわしみず 経由で接触を図ろうとしたのだが、例の不審火で一旦撤退することになった。あのタイミングで岩井さんと話をしても、監視の目が厳しくなるだけだ。
 いや、どうかな。ああいうところだからこそ、石清水の上司である岩井さんと話す機会だったのではないだろうか。どうだろう。難しい。思えば僕は、びびっているのかも。

 考え事をしているうちに退勤時間になった。すっかり夜だ。街の明かりと街灯を頼りに敷地の外に出て、数百mを歩いたところで小さく手を振っている女性が見える。心臓が跳ね上がる気がして、艦橋は自分がびびっていることを強く自覚することになった。警備の人に声を掛けるには少し歩きすぎていた。
「お話しませんか。艦橋さん」
「え、遠慮します」
 走って逃げようとしたら、知らない外国人風の男に道を塞がれた。自分の失敗に気付く。もっとびびってればよかった。しまった。
 動けないでいるところに足音が近づく。せめて顔見てやろうと艦橋は目を向けた。女はひどく美人だったが、美人であるがゆえに、印象深い顔立ちでもあった。
「コピー機のメンテナンスやってた……」
「そうでーす」
 明るく小さく手を振られ、艦橋は小さく声をあげた。ずっと前から監視されていたことに気付いた。
「自己紹介がまだでしたね。私はイトウっていいます。 左木 さき って名前です」
「僕を殺したってなんにもなりませんよ」
「それを決めるのは艦橋さんじゃないですよ」
 笑顔で言われて、艦橋は棒立ちになった。喚いて走って逃げれば良かったのだが、それが出来なかった。自分が川に浮いているイメージが頭にちらついた。
 イトウを名乗る美女は笑っている。
「冗談ですよ。冗談。でも、少しくらい話を聞きたいかなって」
「少し、ですか」
「ええ。少し」
 艦橋は美女の顔を見た。面白そうにしている。
「嫌だと言ったら?」
「別に? 何もしませんよ。ここでは」
「ここでは」
 良い笑顔をされて、身の毛がよだつ。口の中が乾いている。
 女は腕を組んだまま人差し指を伸ばした。
「我々は平穏を望んでいます」
「僕だってそうですよ」
「それはよかった」
 女はいい笑顔。
「艦橋さんはいつも、見守られています。このことを忘れずに」
「こんなめにあって忘れたりはしませんよ」
「それは良かった。最近、記憶力が悪い人が多くて。帰り道にSNSに書き込んだり、そのまま行方不明になったり」
「上司に相談するとか」
「それについては問題ないですよ。ただ、握りつぶされるだけです」
 ほんとかよと思いはしたが、口にすることは憚られた。身の危険というやつは、人を臆病にする。
 微笑みを一つ残すと、女は唐突に消えた。外国人もいなかった。魔術か何かを使われたかと思ったが、腕時計は3分ほど進んでいた。立ったまま意識を失っていたのは間違いなかった。