第二十四話
「ツッコミ」

希望世界 エルス   駿河湾沼津 するがわんぬまづ  領主の部屋

 領主の朝は無駄に早い。小鳥というか 石清水 いわしみず 相手に特訓するためである。今日も今日とて意味もなく、自室にて脚を踏み鳴らしてツッコミの練習である。

 なんでこんな訓練をするのだろう。というよりも、なんでこうなった。幼い女領主スルガさんはそう思うが、すぐに訓練に打ち込んだ。小鳥姿の石清水がくだらない事を言うので吹き飛ばすのに忙しいのである。
 しかし、命中しない。前よりずっと素早くなったというのに、石清水もまた、避けるのが上手くなっている。
 相手はただの人間なのに上位種族である大妖精が当てられないでいる。
 悔しい。どうにかしたい。
 身を切るような冷たい大理石の床も、踏み込み、練習するうちにどうでも良くなる。足から血が出ても気にしない。石清水も何も言わなかった。そのうち足の裏にへこみが出来て、それが土踏まずだよと教えられた。

 イワシミズは意味のない訓練というが、少しは意味があると、スルガさんは思った。まずもって、夜にぐっすり眠れるようになった。あと、ベッドで泣くことがなくなった。だいたいベッドの中で、どうやってあの小憎たらしい小鳥を焼き鳥にするかを考えている。
 大妖精として、領主として、あんなのに負けられない。足を踏み鳴らしながら思う。

 今日も今日とて足を踏み鳴らして小鳥を追いかける。絶技だけに頼っては駄目だと、スルガさんは思う。速度についていけない。短い歌の絶技、それでも足りない。結局手足を使った方が速い。自分の身体なのに自在に操れないことに気付いたのが、スルガさんの面白くない発見だった。そんなこと知りたくもなかった。まあでも、知った以上は訓練せねば、何もかも思い通りに動かない中で、自分の手足くらいは思い通りに動かしたい。

 背後で物音、瞬間的に身体が動いた。雇っている人間が、部屋の扉を開けて恐怖に顔を歪ませている。すぐに扉が閉まって逃げだした。
 失礼な奴、と思うが、自分の格好を見て、考えを改めた。髪を振り乱し、夜着を乱し、足から血を流していたら、まあ、怖いと思うだろう。自分だって悲鳴をあげるかもしれない。そう思えば悲鳴をあげなかったあの人間はちょっと偉いということだ。

 人間も侮れないわね。腕を組んでそう思った。しかしまあ、小鳥相手だと思って、この格好だったが、よくよく考えてみればその向こうにはイワシミズの本体というか身体があるはずである。ちょっとは気にしないといけないかもしれない。
 いや、でもあんな恥ずかしい姿をしていても特にイワシミズは気にしてないようだったから、ニホンはああいう国なのかもしれない。
 とはいえ、髪が煩わしい。ついでによく考えてみたら、夜着は動きにくい気がする。

 そうか、その部分を改善したらもっと速くなるかもしれない。仕事として先ほどあった火事復旧の予算報告を聞く間に、スルガさんはそんなことを考えた。笑顔を向けると配下の人間たちは震えあがって頭を下げたが、スルガさんは特に気にもしなかった。焦ったのか記録に使う木簡を取り落としたのを、空中で受け止め返してやる。
 木簡の数字に目を走らせて、部下を見る。部下の顔が引きつっている。
「遅いわね。それと、私に報告したのと数字が違うようだけど」
「し、失礼しました!」
「失礼ではなく、数字が違うと言ってるの」
 場が凍っている。遅い、遅いなあとスルガさんは思った。イワシミズならもっと速く、言い訳なりくだらない事をいうものだ。まあ、内容がある分遅いにしても、それにしたってどうかしている。
「ツッコミの速い人間だけが見れる世界があります。か」
「な、なんの事でしょう」
 新しい残虐な刑の説明を聞いたような顔で配下の一人が言った。スルガさんはため息。イワシミズは嘘つきだ。そこはとても綺麗ですと言っているけど、全然綺麗じゃない。それとももっと速くなれば、もっともっと速くなれば、見える世界も違うだろうか。

「真実を喋らせる絶技を使ってもいいけれど」
「それには及びません!」
 配下の人間たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて言った。すぐに資料を出し直すという。
 スルガさんは特に気にしなかったが、許した。というよりも上の空だった。動きやすい格好の服を注文し、髪を結ぶ紐を頼んだ。そのままなんとなく自室に向かう。家来だというのにイワシミズはだいたいバルコニーに居たりする。
 窓際で踊っている小鳥に、スルガさんは話しかけた。
「ねえ、イワシミズなら数字を読み間違えた時、どう言い訳する?」
「古い、古いなあ、希望世界のギャグは。はいお釣り、500万円ってやつでしょ。せめて3の倍数になるとアホになるとかやらないと」
「……? どんなの?」
「1、2、アホー 4、5、アホー」
 瞬間的にムカついてスルガさんは手を伸ばした。華麗に小鳥は避ける。やっぱり速い。そしてちょっと面白い。なるほど。そうか、これがツッコミというものかも知れない。
 自分だけが速いのではダメなのかもしれない。スルガさんは連続攻撃からのフェイントでさらに絶技を使いながらことごとく避けられてそう思った。自分が笑顔になっているのが分かる。
 領主よりこっちの方が楽しいかもしれないと気付いてスルガさんはベッドに向かった。倒れこむ。お父さんから受け継いだのに、自分はなんて悪いことを考えるのだろうと思った。
 小鳥が心配してベッドの脇までとっととやってきた。首をかしげている。
「なんで悲しんでるんですか」
「バカ、話しかけないで」
「7、8」
 ベッドにうつぶせになったまま、スルガさんは裏拳を入れた。小鳥の羽根が舞ったがすんでで避けられた。
 小鳥が顔から汗を出している。
「今のはよかった。そう、それがツッコミですよ! 君はツッコミのボンベイブラッドや!」
「喚かないで! 悲しんでるの!」
「悲しんでどうするの」
 スルガさんは起き上がって小鳥を追いかけだした。本気で殺すつもりだった。