第十五話
「激怒」

NEOPASA駿河湾沼津 ネオパーサするがわんぬまづ

 小久保の折り畳み式携帯電話に連絡が来たのは、NEOPASA駿河湾沼津へ向かう車中、彼が上機嫌に 艦橋 かんばし に説明していた時である。
「会社から電話だ」
「健康診断まだ行ってなかったんですか」
「いやいや、総務じゃなくて川崎管制だから違いますよ。はい。小久保です」
 小久保は電話に出てすぐに驚愕に目を見開いた。
「えー、ほんとですか。分かりました。ええ。艦橋くんは今運転中です。ええ、ええ、そうですね。分かりました」
 運転している艦橋としては、気になって仕方ない。何だ。何が起きている。まさか政府が手を回したとか。いやいや。
 まだそんなことはないだろうと思いながら、手汗がひどい。
希望世界 エルス の駿河湾沼津で爆発テロらしいです」
 小久保の話は驚きではあったが、懸念したものではなかった。良かった、のかな。この場合。
 艦橋はズボンで手汗をぬぐい、考えながら口を開いた。
「あの領主さまがいる街で爆発テロを起こすなんて、オタクの風上にもおけませんね」
「オタクじゃないんじゃないですかね」
 小久保は冷静だった。艦橋は運転しながら目を細めた。頭の中で目まぐるしく考えていることとは、別の事を口にする。
「なるほど。だから世界平和がいつまでも来ないわけだ。一応聞いときますけど、領主は大丈夫なんですよね」
「スルガさん? あの娘は大丈夫だと思いますよ。ああ見えて普段から何重もの防護障壁を張っているので。戦車砲弾が直撃しても、あいたーと言って目がバッテンになるくらいで済むと思います」
「……そう言われると非常識ですね」
「そう言われなくてもでたらめですよ。向こうじゃ人間より上の支配種族ですから」
「妖精で幼女の領主さまか。ファンタジーだな」
「しみじみ言わなくても」
 小久保は他人事ならではの気楽さで苦笑している。でも、と艦橋は思う。
 他人事じゃなかったらどういう反応をするだろう。その時でも笑っていられるだろうか。というか、あの領主さまが世界移動の方法を知っててもおかしくはない。うっかりポロリする可能性もなくはないのだ。
 気をつけよう。特にあの領主さまはアホの子だ。いや、だがそれがいい。とは思うのだが、こうなってくるとそうとばかりも言っていられない。

 一旦駿河湾沼津を越えてから降り、工事現場が左右を飾る一般道を通って新東名高速道路に再復帰、艦橋と小久保がNEOPASA駿河湾沼津(上り線)に到着すると、ちょっとした騒ぎになっていた。
 調整中の希望世界ライブビューコーナー、今となっては白い布で囲まれていたのが幸いだった……そこに続く水の跡、転がった一升瓶。海パン姿で土下座している 石清水 いわしみず
「な、なにが起きたんだ」
 艦橋ならずともうめくような状況。
 ライブビューモニターの向こうでは、半分涙目の目つきの悪い領主さまというかスルガさんが、下を向いて激怒している様子。歌を小声で歌っている。恐ろしい死の歌。

”我は白き手の乙女に告げる それは進んで絶望へ落ちる女の権利”
”白にして乳白の我は 万古の契約の履行を要請する”
”我は破滅より生まれし支配者の裔 ただの人より現れて 歌を教えられし破壊王”

 長い髪が揺れ、下から持ち上げられるように膨れ上がる。画面の向こうから圧を感じ、艦橋は横を見た。周囲を囲む白い布が内側から見えぬ力で押されているのを見て、うっかりポロリがもう始まっているのに気付いた。
 絶技は世界を超える可能性がある。というか、現に超えている。
 小久保に気付かれる前にどうにかしないと、この国も僕も危ない。
 考える時間はいかほどもない。艦橋は走って石清水の前に立った。
「お待ちください! この艦橋、今到着いたしました!」
 そしてそのままライブモニターにヘッドバッドした。スルガさんが歌の詠唱継続に失敗してひるんでいる。
 モニターの角に頭をぶつけたか、額から血を流して艦橋は顔をあげた。
「今すぐこの失礼な海パンを吊るしてごらんに入れます」
「やめなさい」
 え、でも絶技で吹き飛ばそうとしてましたよねと目で艦橋はスルガさんに尋ねた。
 それはそうなんだけどと、胸の前で人差し指をチョメチョメするスルガさん。横を向いた。
「艦橋。私は残虐な刑を思いつきました。そこの卑猥な格好の者を私の家来にするのです」
「いやそれご褒美ですよね」
「私もそう思うけど、でも断ったの! そいつ!」
 スルガさんは足を踏み鳴らして言った。なるほど。スルガさんがアホの子で本当に良かった、いや良くないのかと艦橋は思った。ともあれうまく話をすれば、どうにか収めることもできるだろう。それと、この状況はカメラで撮影されているはずだから、その画像も破棄させねば。
 やることが加速度的に増えていく。いい状況とはとても言えない。希望世界とこちらの行き来を秘密にすることは出来ないかもしれない。ダメなのかと内心思いつつ、艦橋はそれでも自分の安楽な人生のために顔を上げた。
「分かりました。少しお時間をください。説得してまいります」
 艦橋は、そう言って中指で眼鏡を指で押した。