第二話
「巨人」

 速度をあげても1時間半。ついた場所は 長篠設楽原 ながしのしたらがはら PAだった。愛知県東部、 新城市 しんしろし である。かつての合戦跡は、今は緑と田園が交互に続く、山がちの平和な風景になっていた。

 昔ここで歴史の教科書に出るような激戦があったなど、想像する事も難しい。
 左右の田圃から不意に細い道に入り、切り立った山の斜面に入る。工事用に作られた曲がりくねる道を上り、砂利道の砂利を鳴らしながら、さらに5分で工事現場につくことができた。

  艦橋 かんばし と連れだって 和歌 わか は降りる。工事現場なのでヘルメットの着用が義務づけられており、和歌は急いでヘルメットをつけつつ顎紐を結んだ。
 見上げる。雲を突くような人影が、ゆっくりと整地が終わったばかりの高速道路の工事現場を歩いている。
 いや、歩いてはいないか。あれには実体がない。工事車両に触れているが、突き抜けていた。
 避難して、口を開けて眺める作業員たちと並んで、和歌もまた、呆然と見上げながら口を開いた。

「あれがあの美人だっていうのか」
「はい。間違いありません」

 画像鮮明化と言ったが、そうなる前はああなるのかと、和歌は深い感銘を受けた。片目で見ても薄目で見てもこうはならない。片鱗すらも見受けられない。ああ、もちろん口に出して言えば会社批判や技術部門批判だ。空気を読んだ上で発言すべきだろう。

「でかいな。50mはあるか?」
 比較するくらい大きなものを、和歌は知らない。子供の頃に見たロボット物よりは大きいから、あれだ、変身する宇宙人並だ。あれ、それともあれはもっと大きかったっけ。

「今のところはそうですね。三角測量では52mです」
 艦橋の冷静な説明を聞いて、自分も落ち着こうと考える。本当に危険だったら、装備がヘルメット一つということもないだろう。だからあれは、たぶん害がない、見たままの巨大幽霊だ。

「今のところってことは、巨大化でもするのか?」
「大きくなったり、小さくなったり、場所が変わったり。色々です。このモデルは最近、建設中の岡崎SAによく出現していました。そういう意味では安定してきていると NEFCO ネフコ は分析していたんですが……」

 NEFCOと言えば、左遷、いや栄転してきた自分の会社である。本社が何を考えて辞令をだしたのかは分からないが、ああ、うん。いや、NEXCO中日本の人事は正しい。
 和歌は自分の口が笑っているのを手の平で隠した。笑っているのを知られたら、変人と思われるであろう程度の常識はあったのである。

「笑ってるの、見えていますよ」
 しかし少々、遅すぎたようだった。和歌は苦笑いしつつ、なるべく真面目そうに口を開くことにした。
「大騒ぎだな」
「いえ、それが、ちっとも。ニュースにもならないんじゃないですかね」
「いや、大騒ぎだろう。普通」
 アニメの話じゃないんだぞと言って和歌は、巨人の幽霊が緩やかに動いているのを見た。

「これ、昔からの現象なんです。古くは東名高速道路建設の際も出ていたそうで。ニュースならその頃さんざんやっていたそうです」
「そうなのか……いや、でもこんなのがあったなんて聞いてない」
「後で資料室からコピーしてきた新聞をお見せします。ニュース動画も少しなら残っています」
 艦橋は眼鏡を指で押しながら言った。
「なるほど。分かった。で、俺は何をすればいい?」
「特に、何も。まあ、今日は社会見学と言うことで、じゃまにならないところで時間を潰していてください」

 冷たい物言いだった。あれ、やっぱり俺は閑職に飛ばされたのかな。
 仕方なく、巨人の幽霊を見上げる。美人なら飽きずにいつまでも眺められる自信はあったが、この状態となると5分で飽きた。飽きてしまった。なるほどこれが、ニュースで取り上げられなくなってしまった理由かもしれない。

 飽きてしまうと巨人の幽霊から目も離れてしまうもので、おかげで避難している作業員以外にも、ちょこちょこ動き回っている人々がいるのに気づいた。
 測量をしている者、写真やムービーを撮っている者、メモを取るもの、変わった形のアンテナを向けている者。どうやらこの動いて働いている人々が、お仲間……NEFCOの社員らしい。

 記録をとっているのが仕事の会社なのかなと、見ながら思った。しまった、自分の出向する会社のことくらいもう少し調べておけば良かった。思えば俺、意外に動揺したり傷ついてたり、捨て鉢になっていたのかも。
 そういや、企画部に配属だったな。何を企画するのだか。もう一度巨人の幽霊を見る。いつのまにかすっかり薄くなっていて、そのまま見る内に消えてしまった。

 行きは楽しかったが、帰りはひたすら眠かった。というよりも、運転を艦橋に任せて、寝た。イビキまでかいてましたよとは、艦橋の談。そいつはちょっと恥ずかしい。

 丸の内のオフィスに戻り、NEXCO中日本時代の元上司を見る。
木林 きばやし さん、木林さんじゃないですか。どうしたんですかこんなところで」
 木林はそろそろ50のハンサムで鳴らした人物で、荒木が就職する際の面接官だった。面接と言ってもまともな面接はやった覚えがない。いや、やりはしたが印象が残ってない。むしろ、面接の前、企業回りをしていた際に交わした雑談ばかりをはっきり覚えている。

 面接こわいんですけど、どうすればいいんでしょうかという、今思えはどうでもいい質問に真顔でそれくらいでいいんだよと答えたのが木林だった。この雑談で志望を決めた。
 馬があったというべきか、そういう流れがあったというべきか入社後も木林は面倒をよく見ており、随分と仕事の役に立った。ここ数年秘密の仕事とか言って姿を見せてないと思ったのだが。

 もしかして。
「木林さんですか。僕をこっちに呼んだのは」
「実に向いてそうだったんで、無理して来てもらった」
 満面の笑顔でそう言われ、あんたが原因だったかと思いはしたが、そんなに悪い気にはならなかった。これで左遷でないのははっきりしたからだ。

「巨人を見てきました」
「ああ、今日の長篠はそれだったか。いつもは武士みたいなやつなんだが」
 木林は長い足を机に投げ出しながら報告書を読んでいる。
 指さしで和歌を椅子に座らせ、難しい顔というか、老眼と戦っているような顔で資料をめくった。

「で、どうだった」
「驚きました」
「それだけか?」
 細目で言われると弱い。頭をかく。
「あー。おもしろそうでした。不謹慎かもしれませんが」
「いや、それでいい。それでこそ、だ」
 木林はにやりと笑った。

「NEFCOはあれをどうにかする目的で設立されたグループ企業だ」
「どうにかできるんですか」
「さてな」
 苦笑する木林は資料を読む手を休めて和歌の方を向いた。
「前の時は土で埋めた。1mほどの盛り土で見えなくなったらしい」
「らしいってなんですか」
「正確な資料がない。この話も今はエクストールにいる人から聞いてきた」

 中日本エクストール名古屋は高速道路の料金所などを預かるNEXCO中日本のグループ企業の一つである。積極的に中高年も採用しており、中には生き字引みたいな高年齢の人も再就職している、とのこと。

「よく調べてきましたね。資料がないものを」
「この数年、必死だったからな。文字通りの雲を掴むような話だ。あれが高速道路を突っ切ったりした日には……」
 大事故だ。直接的に危害はなくても気を取られたり視界不良では事故のリスクは大いにあがる。和歌は唇が乾く気がした。面白がっている場合ではない。

「そいつは……大変ですね」
「大変なんだ。しかも昭和の昔のように土で埋めてしまえばいいって話でもない。貴重な学術資源とやらでな」
「迂回は」
「無理だ。ルート策定までに何年かかったと思う。賛成に回ってくれた人々にも申し訳がない」
「八方塞がりに聞こえますね」
 木林はにこっと笑った。
「そうそう、ここからが面白いところなんだよ。野球と同じだ。9回裏で3点差が一番面白い」
「俺たち負けてる方ですよね」
「逆転勝ちが一番面白いんだ」
 和歌は木林を白い目で見た。木林は資料を閉じると和歌に資料を渡して、席を立つ。
「んじゃ、後は頼んだ」
「はっ!?」
 微笑んで木林は口を開いた。
「入れ替わりで俺が別会社に行くことになったんだよ。今日からお前がNEFCO企画部の部長だ」
「ちょ、え?」
「ここからが一番面白いって時にお前に席を譲るのは残念だが、これも社命だ。仕方がない」
「うそー!」
「ほんとだ。一つ幽霊と話をつけて、安全な通行を可能にしてくれ」

 和歌が呆然とする中、木林はスーツの上着を背に、飄々と去っていった。
 企画部の中にいた連中が一斉に立ち上がって頭を下げている。人望のほどはそれだけで知れた。木林は本気でやってきたのだ。
 ドアが閉まり艦橋が頭を上げる。全員がこちらを見ている。
「ようこそNEFCOへ。新部長。我々は最大の努力をします」
 艦橋の挨拶に、全員のお辞儀、和歌は部長の椅子にへたりこんだ。
「9回裏の3点差だぞ」
 自分の声が、裏がえっている。残された社員たちの士気は高く、だからどうしたと表情で告げていた。