第十九話
「シタラガハラ」

 かつての戦いによって出来た山の頂上付近にいる。故郷の村ほどではないにせよ斜面はきつく、水平に歩ける場所はほとんどない。
 斜面を歩きながら、ナガシノは黒髪を風に踊らせた。

「よくここまでこれたものだ。ここから先から来たのだろう」
 ここから先とは、ハママツがこれまで歩いてきた山を指す。反対側から来たナガシノからすると、そういう表現になるのである。
「あ、うん」
「さすがにこの先になると敵が多すぎて対応が大変だ」
 ナガシノはそう言って、きびすを返した。
「行こう。 NEFCO ネフコ はあなたの旅の成功を望んでいる」
 ハママツは捨てた荷物の方を見たが、すぐにあきらめた。戦闘騎に襲われたら、嫌だ。
「NEFCOって?」
“我々のことだ”
 標霊が、不意に頭の中で言った。
「あんたフジマエって名前でしょ! また嘘ついてたの?」
“またってなんだ。またって、言っておくが、嘘をついたことなんかないぞ”
「嘘。また嘘ついた」
“嘘なんかついてない。我々が、NEFCOがついていると確かに言っている”
 そう言えばそんなことを言われた気もする。ハママツは目をさまよわせた。
「……そうだったっけ」
“おい”
 フジマエが頭の中で説教をしている。うるさい。

 頭を振っているとナガシノが不思議そうにしていることに気づいた。
「どうかしたのか」
「あ、ごめん……えっと、頭の中に悪霊がいて」
“悪霊!”
「うっさい! あ、ごめん。えっと、頭の中に 標霊 ひょうれい っていう面倒くさいのがいて」
“面倒くさい!”
「あーもう! うるさいうるさいっ、黙ってて! あ、ごめん。ナガシノさんのことじゃないから」
 多数の戦闘騎を相手にしても泰然としていたナガシノも、これには困っている。ハママツは急に恥ずかしくなった。
「ごめん」
「いや、あまり人を知らないので、勉強になった」
 頭を下げるナガシノ。
 なんの勉強になったんだろうとハママツは不安になったが、すぐに黙った。
 大きな戦闘騎が近づいて来ている。
 真っ白な、戦闘騎。ナガシノが幼い表情を浮かべてその身体に抱きついたのが見える。

「おねえちゃん!」
「おねえちゃん!?」
 ハママツの言葉に、戦闘騎が獣の顔のまま笑った。
「お初におめもじする。私はシタラガハラ。シタラと呼んでくれ。いろいろあってこの通り、今は人間の姉をしている」
 ハママツは頷いた。頷くしかなかった。
“彼女はたまたま命令を入力されないまま世に放たれたんだ”
 頭の中でフジマエがそんなことを言う。何偉そうに言ってんのよと言い返したいが、姉妹の前で言うのは憚られた。
 それで足を踏みならしていたら、姉妹が不思議そうにこちらを見ている。
「あ。実は頭の中に悪霊がいて。あと、フジマエは黙って」
“僕は悪霊じゃない! なんだその言い方は! しまいにゃ寝るぞ”
「ああもう! うるさいうるさい!」
「おねえちゃん、あの人、頭の中に霊がいるんだって」
「NEFCOからの通信、ではなく?」
“それだ!”
 そういえば、そんなことをフジマエは言っていた気がする。ハママツは遠くを見た後、自分がこれまでとんとフジマエの言うことを聞いてこなかったことを思い出した。

「その通信がうるさいの」
「静かにしてくれと言えばいい。音量は変えられる」
“緊急時以外は静かにしている。そもそも黙れと言われれば黙っている”
「会話に割り込むなって言ってんのよ!」
 虚空に向かってハママツは吼えた。そもそも心のキャパシティが大変に小さくて二つも同時に物事が進行するとついていけない性質である。
 見かねて、シタラが口にした。
「いちいち声に出さないでも通じるぞ」
「え?」
「通信なら、考えるだけで伝わる」
“嘘、そんなのきいてない。フジマエ!”
“僕も知らなかった”
 ハママツは虚空をぽかぽかしようと腕を振るった。
 ナガシノが甘い顔をして笑っている。
「変な人だね、おねえちゃん」
「変かどうかは分からないが、疲れすぎているのは確かだ」
 シタラは小さく歌うとハママツを眠らせた。倒れた瞬間には背に乗せて、のんびり歩き出す。
「砦に戻ろう」
“ハママツに何をした!”
 シタラの頭の中で声が爆発する。確かにうるさい。それともこれは、ただの心配か。
“眠らせただけだ。心配ない”
 そう答えるとフジマエというNEFCOの者は、騒いだ。女も女なら、男も男だった。
“そうは言うが本当に大丈夫なのか”
“問題ない。そもそも危険を冒して、NEFCOの要望で、我々はやってきた。それもこれも、私の妹に対する日頃の恩義があればのこと。あえて弓引くようなことをしても始まるまい?”
“そうだが……”
 声は迷っている。ナガシノはシタラにべったりくっついたまま歩きだした。
“お腹が冷えないようにしてやってくれ。あと、あんまり揺らさないでほしい”
 シタラは目を細めて色々思ったが、送信するのはやめた。