第十六話
「戦闘騎」

 眠気と戦いながら、 藤前 ふじまえ はスマホから“わくわくハイウェイ”を起動して情報を眺めた。SAやPAの情報や催し物、ガイドを見るアプリなのだが、今必要なのはそういうことではなくておおよその距離だった。
  希望世界 エルス の地形とこっちの世界では戦争のせいで結構食い違っているが、絶対的な距離は変動がないはずである。
 仮に回り道が多少あったとして、最大で30km程度。高速道路で移動すれば時速80kmとしても23分で到着する。いわゆるまあ、ほんのちょっとだ。

 だが希望世界では、このほんのちょっとが、遠い。
 山、歩き、夜間、疲れた女の子。時速は1kmもいっていないくらいまで下がっている。寝ずに歩いて20時間。それで半分を過ぎたというあたり。時刻は昼過ぎ。
 ハママツの歩きが怪しい。身体が揺れている。
 そろそろ限界か。
 うるさいことに下の管制センターでは、女の子が……か、おい大丈夫か、なんて声があがっている。
 事故が起きたときなどに迅速に動けるよう、管制センターに派遣されている警察官たちがことさら渋い顔をしている。異世界のこととはいえ、かなり口を出したい様子。まあ、そうだろう。詳しい情報や状況を知らなきゃそうだろうさ。
 僕も文句言いたい。くそ、せめて僕が替わってやれたら。
 机を叩きたくなるのを我慢して、藤前は自腹を切った高級栄養ドリンクの口を切った。飲もうかと思って、やめる。向こうにはこんなものもない。
「そろそろ休むか」
“……え?”
「そっちは疲れすぎている。一度休もう」
“戦闘騎、もういない?”
 いる可能性が高いが、藤前は覚悟を決めて嘘をつくことにした。どうせ、ここで遭遇しても今の状態では無理だ。逃げることもかなわない。
「多分な。ここまでくれば、なんとか」
“あとは運次第ってわけね”
「ああ」
“私が死んだらせいせいする?”
「いや、多分、酷くショックを受けると思う」
“喧嘩相手なのに?”
「性格最悪だと思っている相手だが、それでも」
“あ、そ。根性ないんだ”
「無駄口はいいから。靴は脱ぎたいと思うが脱ぐなよ。多分、むくんで履けなくなる」
“もう取れませんっての”
 精も魂も尽き果てたように、ハママツは座り込んだ。慌てて大スクリーンでの表示を中止させた。倒れ込んで疲れはてた顔を見せたくなかった。
“私が食われることになったら、目をそらしてていいから”
「無駄口はいいから寝ろ。見張ってるから」
“交代するんでしょ、どうせ”
「交代しても眠れないから、そばにはいるよ」
“あ、そ。眠るから話しかけないで”
 なんてかわいくない奴だろう。藤前は腹を立てたが、それでも音を立てて彼女が食われたら、自分でも信じられないほどショックを受けるのだろうなと思った。
 交代要員の 艦橋 かんばし に頷いてヘッドセットを渡す。
 音が向こうに聞こえぬよう、マイク部を握って艦橋が口を開いた。
「少しでも寝てください。何かあったら伝えますから」
「ああ」
「仲、いいんですね」
 こいつは背中に目がついているんじゃないか、と藤前は思ったが、何も言わずに寝ることにした。口喧嘩の相手は一人で十分だ。二人は多すぎる。

 良くない夢を見た。愛犬がおいしそうに骨をかじっているのだが、それが見慣れた細い女の腕だった件。
 異様に汗をかいて目が覚める。死ぬかと思った。まだ心臓が早鐘のように鳴っている。
 スマホの時計を見る。1時間と経っていなかった。
 ほら、ほら! だから!

 椅子に座りなおし、音とカメラに神経を集中する。艦橋が何か言いたそうだったが、頭を振って黙った。
 ネットというものはすごいもので、戦闘騎のおおよその外見映像だけで大きさや行動半径、生息数が割り出されてしまっている。何百人というミリタリ勢やアニマルクラスターに専門家が加わって討論しておおよそこのあたりだろうという見当をつけている。
 その数字は安全距離で20kmだった。あと5km足りない。同様に危険半径から割り出された危険率を見る。戦闘騎がいるとして1体。出くわす可能性は追跡力がないとして1%を切る。あったとして70%超で捕捉される。
 これまで捕捉能力があるという前提で歩かせてきた。これは、どうなのか。
 意識を集中する。眠気はない。音を聞いた気がする。
「艦橋さん、音、レベルあげて」
 艦橋が操作する前に藤前は艦橋の耳からヘッドセットを奪っていた。
「ハママツ! 逃げろ!」
 一瞬で目を覚ましたハママツが脱兎の勢いで逃げ出した。上出来の反応。お陰で距離を取れた。
 ハママツが敵と対峙している。

 敵は、木陰の中で目を輝かせている。巨大な、5mほどの肩の後ろから背骨が盛り上がった化け物。大きく裂けた口と丸い目には、怖ろしいことに知性の輝きがある。
 戦闘騎が笑いながら簡単な歌を口ずさんだ。即座に顔が溶けて別のものに替わる。人間の女の顔。
<危ないですよ。さあ、こっちへ>
 言った直後に女の顔が下卑な顔で嘲笑する。

「逃げろ!」
 下の管制室が静まるほど大声で藤前は言った。背中を叩かれたようにしてハママツは走って逃げた。
「逃げろ、逃げろ、逃げてくれ」
 走るハママツが泣いている。
“あいつ、お母さんの顔してた!”
「分かりやすい罠だ。気にするな。荷物は全部捨てていい。逃げろ。逃げろ。逃げろ!!」
 ハママツが背に負う荷物を捨てた。
「楽器も捨てろ」
“これ、死んだお母さんに貰ったの”
 藤前は顔を全開でしかめたまま、思わず涙を落とした。
「じゃあ持って逃げろ! 全力だ!」
“そんなに走れない!”

 隣の艦橋がスイッチを切り替えた。長篠設楽原PAへ。
「コード101。セット! アゴーン!」