第十五話
「口喧嘩」

 かつての戦いで隆起して出来た山の中を歩いている。
 一度山の頂上から眺めたせいで、大体の地理関係は頭にあって、おかげで迷うことなく歩いていけている。
  標霊 ひょうれい の指示で特注された靴は確かに高い効果をあげており、信じられないほど遠くを歩くことが出来ている。
 生き延びることが出来るかもしれない。
 何度も打ち消していた希望が首をもたげているのが分かる。
 ハママツは、死ぬのが怖かった。怖くて怖くて仕方なく、どうせ死ぬなら一瞬で死のうと思っていた。
 ところが自分に取り憑くフジマエという標霊は、生きろと言う。それは長く苦しむことだと思ったが、それでも死ぬのは怖ろしく、ハママツはすがりつく形もないのに霊にすがってこうして山の中を歩いている。

 あたりは段々暗くなってくる。
 標霊は、悪霊かもしれない。騙されて、おびき寄せられて、死ぬよりも酷い目にあったあげくに死ぬかもしれない。
 足が止まる。
 標霊は黙って何も言わない。
「フジマエ、何か言ってよ」
“ん、ああ? あ、すまん。寝てた”
「寝るな!!」
 思わず自分でびっくりするぐらいの大声が出た。
“静かに”
「うるさいうるさい!! 頭の中で喋るな!」
“何か言ってよとか言ってたくせに”
 ハママツは黙った。確かにそうだ。でも、怖い。しかし怖いとは言えなかった。それこそ標霊を喜ばせる言葉かもしれない。
「大体、なんで霊が寝るのよ」
“僕は徹夜だったんだぞ。既に超過勤務だ。タイムカードも怖くて押せないくらいだ。これじゃブラックだぞ、真っ黒黒助だ”
「説明になってない!」
“気が立ってるな”
「質問に答えてよ!」
“あー。えーと、まず徹夜というのは夜寝なかったということで”
 ハママツは拳を握った。手が震えている。
「あたしをバカにしてるの?」
“じゃあ何が分からないんだよ!”
「喚かないで!」
“喚いているのはそっちだ!”
 しばし、二人で黙った。もう一歩も歩く気になれず、ハママツは茨の草むらの横に座り込んだ。
 体育座りして膝の上に顎を乗せる。
「私たち、相性悪いよね」
“今頃気づいたのか。僕はずっと前から知っていたぞ”
 涙が出ていた。やっぱり酷い目にあって死ぬんだ。
“……泣くなよ”
「私が苦しんでいるの、……楽しんでいるんでしょ」
“そんなに趣味は悪くない”
「じゃあ答えて!」
“……何を”
「なんで霊が寝るのよ」
“いや、そもそも霊じゃないし。遠くから声をとばしているだけで”
 ハママツは目を大きく開けた。
「嘘ついてたんだ……」
“いや、君たちが勝手にそう呼んでいるだけだ”
「じゃあなんで黙ってたの」
“長老には話をしている”
 ハママツは唇を噛んだ。
「長老とぐるなんだ」
“いや、長老は難しい話をしてもハママツは聞かないだろうと”
 それはその通りだとハママツは思ったが、振り上げた拳はなかなか下げられぬ。
 自分の身を守るように小さくがっちり体育座りして帽子を目深にかぶる。
「暗いよ。もう一歩も歩けない。歩きたくない」
“駄目だ。歩け”
「私が苦しむのを見たいんでしょ」
“見たくないから言ってるんだ。崖の街から離れれば離れるほど街を取り巻く戦闘騎と遭遇する率は低くなる”
「暗くて転んだら? 足を怪我したら?」
“月が顔を出す。大丈夫だ。月軌道が狂っていて月齢の計算は難しかったが、どうにか法則性を見つけることができている。全国の天文マニアや天文台の人が計算してくれた”
「でもフジマエ寝てたじゃん!」
“沈黙の時間があって気が緩んで意識をなくしてたんだ。大丈夫、もう少しで交代要員が来るから”
「私には徹夜させて、逃げるんだ」
“逃げる? 誰が逃げるだ! 言って良いことと悪いことがあるぞ!”
「逃げる以外に何があるのよ! ほんと交代したら自殺してやるから、身投げするから、苦しまないよう死んじゃうから!」
“……ばか、やめろ。分かった。分かった。寝たのは悪かった。しかし僕は旅立ちの前の日から起きていて……”
「言い訳なんか聞きたくない」
“ああ、そうかい。分かったじゃあもう何も言わない”
「そう言って寝るんでしょ」
“こんなに腹が立っているのに寝られるか。立て。歩け。そして生き残ったら思いっきり寝る”
「あんたが?」
“お互いだ”
 月が、出てきた。満月で、明るくて、まぶしいくらい。
 黙って立ち上がり、歩き出す。
「寝ないようになんか喋り続けて」
“何を”
「何でもいいから」
 怖いけど、周囲に標霊しかいないけど、それでもいないよりはマシ。
 フジマエは小声でブツブツ文句を言い出した。
 聞き流しながら、怒りを前に進む力に変えて、歩く。
 やっぱ、無理。
 ハママツも小声で文句を口にした。互いに悪口を言いながら、歩く。これなら怖くないかもしれない。