第十一話
「旅立ち」

旅は静かに始まった。
 色取り取りの色の入った帽子を貰い、毛布兼用のマントを一つ。
  標霊 ひょうれい が依頼して長老が作らせた長靴は、厚底だった。
 履いて、足裏を見る。
「なんかぺったんしてないけど、いいのこれ? 底が木で出来ているみたいだけど」
“中底には木をいれてさらに皮でくるんである。フェルトも入っている。三重構造だ”
「あにすんのよ。こんなので。戦闘騎蹴るの?」
“これから長い距離を歩くんだ。靴はどれだけ高価なものでも意味はある”
 少女はしばらく考えた後、虚空を見上げた。
「私がすぐに死ぬことは考えてない?」
“考えていない。君は長生きをする。そのために僕たちがいる”
 少女は自分の前髪を指でいじった。
NEFCO ネフコ ね。はいはい。まったく、暇な霊の団体ね」
“霊かどうかはともかく、君も努力するんだ”
「ねえ、あんた名前なんて言うの?」
 この年頃は話がころころ変わる。それでもまあ、標霊は、怒らず耐えて答えた。
“フジマエだ”
「私は……」
“そっちの名前は教えちゃいけない重要なものなんだろう?”
「異性にはそうだね。標霊にならいいんじゃない?」
“あのな、こっちは異性だ。それと、君の仮の名前は、ハママツさんだ”
「なにその名前、変な名前」
“君のいる現在地の、こっち側の名称なんだよ。浜松SA付近になる。君はこれから他のエリアに連絡するために移動する。さし当たって長篠を経由して岡崎へ向かう”
「遠い?」
“歩いていくなら、随分かかる”
「私何日生きられると思う?」
“何日でもだ”
「ぶー。私、真面目に言っているのよ。その日数によって荷物変わるし」
“食料は三日分。以降は自力で探す”
「三日は生きられるってわけね。わかった」
“いや、四日分食料持つには重いってだけだ”
「二日分にできないかな。私、楽器持っていきたい」
“駄目だ。脚に負担がかかる”
 ハママツは足を踏みならした。
「いいじゃない! 私の脚よ!」
“……ああ、もう! ……冬服を減らす。食料に手を着けるのは許されない。戦闘騎がいると思われるエリアで食料探しは危険すぎる”
 横を見るハママツ。涼しい顔。
「最初からそう言えばいいのに」
“寒くて震えても知らないからな”
「はいはい。そこまで長生きできたらね」
“信用しろ。僕たちは君の味方だ”
 ハママツは虚空を睨んだ。
「味方なら、私が何を大事にしているかくらいはわかって」
 フジマエは黙った。お気に入りの弦楽器を背負って、ハママツさんは少しだけ微笑んだ。
「よし、これで怖くないわ。どうすればいい?」
“一端山の上に移動する”
 ハママツは下顎を変な方向へ向けた。
「下に行くんじゃなくて?」
“最終的には下に行く。だが下には大量の戦闘騎がいることが予想される”
「うん。下に落ちた人がよく食べられている」
“敵のいるところにいく必要はない。だから、あえて上だ”
「分かった」
 奥行きのほとんどない山の街を、ハママツは大股で歩いた。着替え中や商談中や、料理中の人々の横を通って行く。
「やってやるぜ、私」
“きばり過ぎないように。あとで疲れると困る”
「うるさいなあ、もう!」
 梯子と縄梯子を連続して登り、ついに崖の街の一番上まで来た。冷たい風を頬に感じて、自分がヘソ出しの服装だったことに気づく。眉をひそめる。
“寒いようなら戻ろう”
「うるさい。行く!」
“寒いんだろ、鳥肌が立っている。いいから戻るぞ”
「戻らない! ここを登る!」
“手袋はするな。粉を手にまぶせ”
「手が汚れるじゃない!」
“死ぬよりはずっといい”
 ハママツは言われた言葉を考えた後、小声で尋ねた。
「フジマエは、本気で私の味方?」
“味方だよ”
「あの、やっぱお腹に布巻いてきていい?」
“分かった”
 山の上に登るのに、街の住人たち、大勢の大人が手伝った。ロープや臨時の足場を各所に作ってハママツをひっぱりあげ、あるいは上に押し上げるのである。
 ついに、山頂まであと数メートルというところまでたどり着く。
 ハママツは耳を澄ませた。強い風の向こう、歌が聞こえる。
「長老が歌っている」
“歌で会話するんだったね。なんと”
「我らここまで。無事を祈る」
“そうか。急ごう。予定より時間が掛かっている”
 ハママツは楽器を外して崖に背を預けた。鳴らす。
 フジマエは怒りかけたが、待った。
 歌を歌い終わってハママツは腕で涙を拭った。楽器を背負い、手の指に息を吹きかけて岩壁の隙間に手をかけた。登り、わずかな足場を探して脚をかける。次の手をかける場所を探す。下は見ない。全身に力を掛けて登りきる。
 はじめて背後と下を見て、絶景であることを確認する。
“海が……”
「海がどうしたの? フジマエは見たことない?」
“いや、とんでもなく海が前進している。山の形も違う。今、こっちの地図と比べる、そのまま数分待ってくれ”
「変なこと言うのね。霊の世界とこっちじゃ地形違うのが普通じゃないの?」
“普通じゃないはずだ。世界が違っても地形まで変わることはそうそうないはずなんだ”
「ふーん。楽器弾いてるね」
“山が、真っ二つになっている?”
「うん。昔絶技でね。中くらいのやつが」
“中くらい”
「あ、でも海が迫ってきたときは長老、必死に逃げたんだって」
“……ファンタジーめ”
「なにそれ?」
“こっちの話だ。わかった。風を避けて谷間に入り、山沿いに進む。幸い木々がないから歩きやすい。方向は海を左に見てまっすぐだ”
「分かった。ねえ、私が食べられても、長老に黙っててくれる?」
“何度も言うが、君は死なない。僕たちがいる”
「一応の話よ」
 ハママツはそう言ってゆっくり山の上を歩きだした。風が強くて帽子が飛んでいきそう。
 一人だけの二人の旅、始まる。