第一話
「左遷」

テンテケテンテンテン
テンテケテンテンテン!
テンテケテンテンテン!!
テン! テン! テン!

 その曲を聞けば、遠い異国の春を思う。

  荒木 あらき 和歌 わか は左遷になった。新たに作られた合弁会社への出向である。
 相性が悪いと内心思っていた上司はにこやかな笑顔で、2年で戻ってこれるよと請け合ったが和歌は全く信用していなかった。
 まあ、片道切符であろう。
 こういうこともあるよなと思いつつ、自分ではうまいことやっていた気もして、和歌は首を捻りながら辞令を受け取った。

 新会社の名前を、 NEFCO ネフコ という。何をやるかよく分からない会社である。まあ、器用な自分ならどうにかできるだろうと、自分で自分を慰めた。しかし、将来は社長にだってなれると自負があっただけに、それだけが残念である。もっともこの意見は、親しい人間以外の誰に言っても笑われるだろう。今のところ自負は自負でしかなく、この調子では、自負だけで終わるようだった。

 荒木和歌は38になる。大学では遊び倒し、卒業の時は気の利いた面接トークと相性のいい面接官のおかげで大企業の権門につくことができた。
 そこから適当に居座って仕事をしても良かったが、存外真面目に仕事をしてしまい、それが評価されたものだからどんどん仕事にのめり込んでしまった。もとよりいろんなところに行くことや、人と話すのが大好きで、出張も厭わぬ口だったから、これが喜ばれていろんな部署に回されながら出張を繰り返した。渉外として確固たる地位を作り上げ、桃栗三年柿八年というが荒木和歌は10年ちょっとで出世頭と見られるようになった。学閥的に少数派だったし、特にかわいがってくれる上司もなかった割に、大した成績だった。

 まあ、でも、それも終わり。お役御免で若い奴に道を譲らないとね。
 あんまり居着いた覚えもない自分の席で荷物を整理、誘われるまま送別会に出て、一人静かに合弁会社の入る丸の内のビルに歩いて向かった。
 丸の内は丸の内でも東京ではなく、名古屋の丸の内である。同じオフィス街だが、格はずいぶん違った。
 出世は結果、それまでは好きにやっただけ。
 別に負けて悔しい訳じゃないが、どの辺で道を踏み間違えたか、誰かに教えて欲しいと思ったが、誰も話してくれないであろうことは分かっていた。それが、大企業というものである。

 ま、過去は過去だ。ぜーんぶ忘れてさあ、新しい仕事でもやってみますかね。給料変わらないらしいから、同じくらいには働いてみせないと。
 心の底からそう思った。

 オフィスについて驚いたのは、誰も居なかったことである。
 おっとこりゃ誰かの恨みでも買ってたかなと思ったが、さにあらず。忘れられた眼鏡が一つ、机の上においてあって、これを取りに来た社員がびっくりしたので何らかの手違いがあったと知れた。

「もしかして荒木さんですか」
「もちろん荒木ですけど。そちらは」
「あー。 艦橋 かんばし です。企画部の。実は1時間ほど前から手が離せない状況になって、明日からというお願いをしたんですけども……」

 自分が段ボール箱一つを持って歩き出したのが1時間と少し前になる。不幸な事故だったということにしておこうか。そもそも会社貸与の携帯電話は返納してしまっていた。
 それにしても眼鏡を忘れるなんてことあるんだなと、自身は眼鏡をかけない和歌は感心した。マンガみたいなこともあったもんだ。じろじろ見られて艦橋は居心地悪そうである。

「えーと、それで、僕も直ぐに戻らないといけなくてですね」
「なるほど。邪魔にならないようにするので見学しても?」
「構いませんが、何か気になる事があってもしばらく、我々は一人も応対できませんよ」
「分かりました。事故ですか」
 歩きながら、和歌は言った。艦橋はのんびりした見てくれとは裏腹に機敏な動作で歩いている。
「有事ではありますね。非常事態にはまだなっていません」

 有事というのは、道路関係の仕事に就いている場合、かなり重い意味がある。有事は子会社全部が休出するレベル。非常事態はもう会社というレベルすら越える。大地震か侵略か。どちらにしても自衛隊の出動要件を満たしそうな話である。
 おいおい、こりゃとんだ鉄火場に来たな。
「嬉しそうですね。荒木さん」
「左遷されたと思ってたんで。ほら、左遷されたら普通は閑職じゃないですか。それが違うんで、ちょっとね」

 艦橋は、半ば呆れた。これだからバブル入社組はと、思ったのかも知れなかった。
 さっき段ボール箱一つと上がってきたエレベーターを降り、社用車である日産のウイングロードに乗って高速道路に飛び乗る。管制が効いていて流れは悪くはない。

「どこに行くか、聞いても?」
 助手席に行儀良く座りながら和歌は運転席の艦橋にそう尋ねた。
「長篠設楽原PAです。第二東名の」
 新東名の事である。
「なんかやるんだっけ。この会社で」
「なんかはやるでしょうね」

 謎めいた話だった。艦橋が余り行儀の良くないことに追い越し車線ばかりを走るのが気になった。いくら急いでいるとはいえ、ちょっといただけない。
「もしかして、急いでいる?」
「最高に。後ろにノートPCがあるんで、それ開いてください」
「後ろって、後席か」

 シートベルトを外してノートPCを取り出すというのもこれまた褒められた話ではない。この艦橋という人物は出向元が違うのかもしれない。
 苦い顔をして後席からノートPCを取り出す。後席は折り畳まれて二室になっていた。ツルハシにカラーコーンに業務用の大型発炎筒。高速道路のパトロールカーと同等の装備だが酸素吸入器がない。
 ノートPCを開く。

「お、Windows7だ。最新だね」
「デスクトップ画面が散らかっててすみません。左上にムービーファイルあるんで開いてください」
「それが騒ぎの原因ってことでいいのかい」
「ええ」
 ところがムービーファイルに出てきたのは、美女だった。なんの芸もなく、ただ美女が歩いている。

「ファイル開き間違えじゃなければ、だが、ここに来て良かったよ」
「その割には嫌味みたいな声でいいますね」
 和歌はウイングロードの天井を見た。
「そうかな。で、この美女が、何?」
「今から3時間前に建設作業員の一人が撮影した映像です。鮮明化処理がしてあって分かりにくいかもしれませんが、画面下の方を見てください」

 もう一度再生。
 和歌は朝剃ったはずの自分の顎をなでた。もうじょりじょりしている。
「でかいな。何かの間違えでなければ、だが」
「コンクリートミキサー車と比較して2倍以上です。エルスですよ。うちは、これと今、交信しようとしています」

 もしかして、左遷じゃない。
 シートに深く座り直して、和歌はそう思い直した。